にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

できそこないのオーロラ

 オーロラ職人が眠るのは昼の間で、夕方には暖を取る方法をなるべくたくさん用意して、楽器を担いで空へのぼってく。足をばたばたさせないで高くたどり着くには目が必要だ。足のつく空とすっぽぬける空があり、慎重に見分けて、けれど鼻歌は堪えて高度を上げる。海の底から音を持ち帰る時と同じで、急いではいけない。あんまり焦っては、破裂してしまうから、確実にだ。稀に深紅のオーロラが出来て有り難がられる事があるけれど、あれは失敗作だ。音不足、速度超過、瞬きを覆うには頼りなく、透けた星の筋は鈍く、よその銀河が見たらくすくす笑うに決まっている。そういう夜空に不似合いなやつを何度も作っていると、職人の立場というのも危うくなるものだ。
 とある地域で白夜があけた。目をつけたのはナザミという新米の職人だった。その年は、慌ててのぼろうとした足場を踏み外して、尻餅をついて、ついでに身につけたあらゆる音の出るものから不格好を鳴らした。幸い、星しか見ていなかったと思われ、後でほっと胸をなで下ろしたのだけれど、なんとか拵えたカーテンの評判がどうも良くなかった。色の段組みが粗く、湖面への映り込みもぼやけている。棒で叩いても冴えた音色を出すでもない、と散々で、唯一褒められたのは飲んでも腹を痛めそうにない、というやつだけだった。
 今年こそはと万端に構えた日は具合がよくなかった。太陽が風邪を引いたと言う噂で、空気にこんなにも迷いがあっては振るうタクトもしなるだろう。運ぶ楽器も選ばなくてはいけないだろう。熟練の者なら、待つか、あるいは全く別の――例えば氷の粒で空を煌めかせるなどして、やはり美しく寒空を彩るはずだ。けれど、ナザミに出来る事はそれでも作ろうと空へ向かう事だけだった。今を諦めても、後があるとは考えなかった。生まれて一度も、同じ空を見たことが無かったからだ。
 階段をのぼりはじめると、やはり笑う声はあった。わかっていないと、無謀だと、耳に届く。ナザミはそれらの言葉を真剣に耳に入れたうえで、やはり歩き続けた。何も、無茶でやろうというのではないし、何より、うまくカーテンが組み上がらなかったとして、その時、痛かったり、残念なのは、自分であるはずだ。正しい事と、足を止める理由と、関係が見つけられなかった。動く理由はいつもわからない。止める理由はいつも、止めようとする者が消してくれる。
 準備は出来た。心音を覆うように、懐かしい歌や、くすぐられるような記憶を貼り付けて、温かく保つ。まぶたの裏をしっかりと見る。次に空気が目に触れると同時に、足のつく空と、すっぽぬける空が、居場所を教えてくれるはずだ。急がない。目をあける。
 足を踏み出す。大きく夜気を吸い込むと、目尻に少しだけ水を感じた。その水が遙か遙か上から吹く、二億年前の瞬きのように微かな風を伝えてくれると、自分の体が霧や何かと同じように外と紛れながら、一音、鳴った。持っていた楽器の、どれを鳴らしただろうか。また、鳴らしたのは誰だっただろうか。叩いて、かいて、吹いた音が、星々の手が一斉にそうしたように、たちまち連なって響き出す。どの音もその音も。一瞬で吸い込んでいく黒があるけれど、負けずに作り出される粒となって、次々と、けれど確実に。透明から、うっすらと青を湛えて、緑をくみ上げ、色づいていく。たわませて巡る。見えないから見えるへの境目で、月がようこそと言った。水が真似をして逆さまに映す。空の果てと湖の底を覆う。瞬きを透かして、銀の城が眠っている。それはそれは見事なオーロラだった。
 後に、達人と呼ばれた職人の作品には、できそこないがいくつも在った。巧妙な大気で隠したわけでもない。それでも、地上の者はそれを見なかった。けれど、ナザミは寂しくは思わずに済んでいる。瞬きはいつだって過去だ。あの不格好な光を、遠い星、よその銀河が、くすくす笑ってくれるだろう。