にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

フクロウおじさんの本当の姿

 羽角公園のすぐ近く、ツツジの中から顔を出したような背の低い街灯の続く先、元気橋の根本にはフクロウおじさんが住んでいて、夜中に子供を攫っては、シチューの具にしているそうだ。
 誰が言い出したか、この地区の小学生には有名な話だった。僕はその「からくり」がなんとなく、わかっているつもりでいたのだ。つまり、フクロウおじさんなんていない、作り物だってことを。ただその時、話して賛同してくれる者なんて、誰一人いなかった。
 森南小学校はY県市内にあり、県内ではどちらかと言うと都会と呼ばれる地域にある学校だ。とはいえ「県内では」という所がミソで、全国でも田舎として名高いここいらで少しくらい栄えているなんていっても、たかが知れている。山を背中に、川の音を聞きながら授業をする点は、県内のどの学校とも同じだろう。
 もちろん、「みんながみんな噂好き」なことだって一緒だ。子供も、母親たちも、噂の仕入れを忘れた事は一度もない。公園で集まる時は決まって、新鮮な噂を交換しては眉をひそめ合っていた。
 僕はどちらかというと、その噂ってやつに興味のない人間のひとりだ。それどころか、ばかみたいだ、とさえ思っていた。だって友達の友達の兄さんが大学受験に落ちたとか、誰彼のママのママがテレビに出たとか、それがどうして「人生の役にたつ」っていうんだ。
 担任のヨオコ先生だっていつも言っている。
「どうせやるなら、人の役に立つことをしなさい」
 暇だと思われて舐められることには慣れているけれど、僕たち小学生はいつだって今と未来に「人生の役に立つ」を求められている。習い事だってそのためで、噂話にうつつを抜かしている暇なんてちっともありはしないのだ。だから、例え誰かが輪をつくって楽しそうに話していたとしても、僕はすすんでそこに入っていったりしなかった。そして、だからこそ、膨れ上がる前の、根っこにある「かんたんな真実」が見えていると信じていた。
 学区の西端に住む子供たちが森南小へと向かうならば、龍山川をどうしても渡らなくてはいけない。この近辺で向こう岸に行くためには、たったひとつの元気橋と呼ばれる橋を渡る必要があった。つまり、西側の学区に住むほとんどの子供はこの橋を、毎日行き来する。まず第一にこの橋のすぐ側にフクロウおじさんの家はあった。
 どういう理屈か知らないけれど、駅前の街灯と違って、この橋にある街灯は夜の八時になると明かりが「消える」のだった。光のセンサーではなく、タイマーで動作させていた所、内部時計がズレてしまったと、お父さんが持論を展開するのを聞いた事がある。お父さんは学校での話をほとんど聞いてくれないくせに、こういうどうでもいい事はよく話してくる。
 子供にとって、八時を過ぎた、真っ暗な橋を渡るのは恐怖だ。親だってそんな危険な場所を渡らせたくは無いはず。結果、子供が、遅くまで遊ばないよう、間違っても八時過ぎに橋を渡る事などないよう、注意を促すつもりで、「大人たちが」フクロウおじさんという架空の怖い人をでっちあげたのだ。子供にそんな事を話せば、途端に広まる事は決まり切っていた。
 フクロウがどこから来たか? それは本当に簡単な理由で、フクロウおじさんの家の前には表札のかわりに、木で掘られたフクロウのレリーフが飾られているからだ。丸い目が片方だけくり抜かれ、体は後ろ向きで首をぐるりと回してこっちを見ている具合で、確かに異様な感じがする。眉なのか輪郭なのか、顔はハート型で、そのせいで目の穴も見ようによっては心臓を穿っているようだった。
 実物のフクロウおじさんを見た人は、誰もいない。けれども聞くところによると、この元気橋が真っ暗な時間に誘拐事件が起きたのだという。犯人は未だに捕まっていなくて、子供も見つかっていない。犯行が行われた日の情報は何も無かったが、普段ひとけの無いフクロウおじさんの家から、それはそれは美味しそうなシチューの匂いがしたそうだ。
 ある時、梅雨明けすぐの頃だ。
 先生たちの会議があるため一斉下校が約束された落ち着かない日の朝礼で、校長が言った。
「今日は早く学校が終わりますが、決して寄り道などしないように。悪い事をすると、フクロウおじさんが出ますよ」
 瞬間の静けさのあと、体育館がざわめく。誰もがハッとして、蒸した空気と蝉の声に改めて気づいたに違いなかった。ヨオコ先生が騒がしくなった声をなだめようとするけれど、クラスに彼女の言う事を聞く生徒は少ない。
 それは僕たちにとって驚きの事実だったのだ。先生たちの中でも一番偉い校長が言ったということ。何か「公式」に発表された心持ちがして、クラスの皆が持つフクロウおじさん像が、みるみるうちに形を成した。
 それだけなら良かったのだけれど、まったく、子供の好奇心を甘く見たとしかいいようがない。クラスの男子の一部が、フクロウおじさんの家に真実を確かめに、そしてあわよくば退治しようと言い出したのだ。もともと家に早く帰れると気持ちが浮ついていたところに、とどめのようにあの校長の言葉だ。普段なら止めておこうよ、と言い出す者もなんとなく気になってしまったのかもしれない、帰りの会でくれぐれも、と言った先生の言葉を無視し、その計画は当日のうちに実行されることになった。
 興味がなかった、と言ったら嘘だ。ただ、僕はフクロウおじさんそのものが作られた架空の存在だと信じて疑っていなかった。そしてちょっとだけ、怖かったというのもある。たまたま参加しなかった僕だけが生き延びた。シチューになったのかは知らない。でも、その日を境に僕のクラスメイトから半分の男子が居なくなった。涙が止まらなかったのは生まれて初めてだった。
 テレビで取り上げない日がなくなって、「こと」が大きくなりすぎたのかもしれない。危険だった薄暗い橋の街灯は修理され、いつも警察や町内会の当番、先生方が交代で見守るようになり、そして何より、フクロウのレリーフのあの家の住人がインタビューされる様子がニュースで流れるのを見ると、世間とは真逆に、僕たちの興味は急速に薄れていった。
 頭の中では完璧だったとびきり格好良い合体ロボが、いざ絵に描いたり粘土で作ったりしてみると全然強そうにできないことがある。それと同じで、フクロウおじさんは皆の頭の中に居た時だけ完璧だったのだろう。その時点で犯人はまだ捕まっていなかったけれど、想像が明るみに出て、実体をなして、もともと居なかった理想のフクロウおじさんが死んだのだ。
 事件は少しだけ続いたのちに、完全に解決した。行方不明の子供たちは、フクロウのレリーフのように心臓を突かれて皆死んでいた。見回りを掻い潜っての誘拐は考えにくいとして、内部の犯行を疑った警察が最終的には突き止めた形だ。
 僕はとうとう、お礼を言い損ねてしまった。何せ、クラスの男子が勇ましいほうから順に半分死んだのだ。いじめられなくなっただけではなく、静かで、授業も集中出来て、いいことづくめだ。泣くほど嬉しかった事は間違いない。
 夏の終わりに、担任の先生が替わった。その人から、二度と何かを教わる機会が無いと思うと寂しい。ヨオコ先生がホームルームで仰った言葉は忘れない。
 ――どうせやるなら、人の役に立つことをしなさい。
 今、僕はフクロウおじさんの存在を信じている。
 彼女は刑務所にいて、居もしない理想の教え子に、元気で授業をやっている。