にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

ポカリ戦争と二つの命


 ポカリ戦争で僕は一度死んでいる。
 それでも今生きているのは奇跡的に生還したからでも何でもない。命が二つあって、一つを失ったら、一つ残ったというだけに過ぎない。
 あの時僕は、たった二つの命を、一つ無駄にしたのだ。

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 何にしろ生意気だったには違いない。幼かったとはいえ、結局僕は一度も、祖父の「戦争話」を真剣に聞いた事などありはしなかった。戦争を知らぬ子はこれだから、と言われては、戦争を教えたい大人はこれだから、と心の中で言い返していた。
 あらゆる拍子に飛び出す「戦争の頃は」という枕詞は、もはや恐怖だった。それに続く言葉はとても長く、しばらくの身動きも制限されるし、僕が幸せで恵まれている事を強く非難されてしまう。
 楽しくて浮かれていれば戦争の時には出来なかった事だと言い聞かされ、痛くて泣いていれば戦争の時はその程度では済まなかったと言い聞かされる。酒を呑みながら延々と繰り返されては、本人の言うように「僕の為を思って言ってくれているのだから」と耐えるのも難しかった。
 そうやって聞かされ続けた話の内容を、実は今ほとんど覚えていない。節制し忍耐しろ、騒ぐな喚くな何倍にも薄めた感情で生きろ。そんな所だろうか。祖父は僕が幼いうちに死んだ。彼が生意気な孫に残そうとした言葉たちは、残酷にもこの世に曖昧な記憶としてしか残らなかった。
 自分が年をとったせいなのか、反省でもしたのか、今となってはそれがとても残念な事であるとわかる。「つつましく目立たぬよう、常に最悪の不幸を想像して生きよ」としか聞こえなかった言葉たちが、本当はどんな形をしていたのか。
 もちろん、ただ僕の為を思ってした話というわけでは無かったろう。祖父は人間で、自分の功績や、過去の苦労を、教訓のあるなしを問わずただ愚痴りたいことだってあったろう。それら全てを受け止めた上で聞けば良かったのだ。祖父が生きた「戦争」という場所と時代の話を。
 僕は戦争を知らない子供だから、それを語る事は出来ない。だから、実際に体験した、ポカリ戦争の事を書く。これは祖父が経験し得なかった、僕だけが経験した戦争という場所であり、また、たった一瞬だったけれども、時代である。


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 ポカリ戦争は恐ろしく間の抜けた自殺から始まる。
 八歳で、きっと夏だった。雲がひとつも無くて、あっという間に喉が渇く季節だったはずだ。
 祖父が心臓を患って死んでから間もなかったはずだったが、三日悲しんだ後に僕は元気にやっていた。
 同級生の間では、サッカーをする者たち、メンコ遊びをする者たちや縄跳びをする者たちといったグループが形成されていて、僕は鬼ごっこをする友だちと組み、毎日の昼休みを謳歌していた。戦争が始まったのはそんな、いつものように友達と遊んでいた時だった。
 音は鳴っていただろうか。いつもみるジャンボジェット機とは形が違うから、聞きなれない大きな音を立てていたかもしれない。でも、僕が覚えているのは映像だけだ。
 五、六機も連なったジェット機が低く飛んでいた。視界に現われた時は、対称で綺麗に並んでいた。僕らの頭上をじっくりと舞い、ばらけては、集まる。そしてある時急に平行に飛び始め、時々飛行機雲をわざと吐き出した。
 何かとんでもない事が始まるのだと震えた。飛行機の軌跡に時々白く雲が残り、空に字を書いた。この位置からだと良く見えない。でも、英語のようだった。
 僕は話半分にしか聞いていなかった祖父の話を思い出した。戦争には、「宣戦布告」というものがあるということ。それと、空襲の話だ。僕が知っているのと違う飛行機が飛んできて、爆弾を落とす。だから、この飛行機と雲の字の意味は簡単だ。始まったんだ――そう思った。
 僕の行動は迅速だった。鬼ごっこの、まさに鬼をやっていた時だったかもしれない。不思議と、友だちは空への興味を早々に断ち切っていて、頭上に釘付けの僕にはやく追いかける作業に戻るよう囃し立てる。囃し立てていたと思う。聞こえちゃいなかった。空はもう、こんなに戦争を示しているのだ。
 読めもしない文字に震え、これから降る爆弾と、恵まれすぎた僕への罰の如くはじまる、死よりも恐ろしい苦しみを思った。
 誰の声も聞かず、校庭で一番高いジャングルジムを、天辺へ向かってよじ登る。どうしたんだと、鬼のはずの僕が追いかけられる。登りきって空を見た。いよいよ文字は連なって、完成の様子を見せている。絶望が広がっていた。青い空が美しくも何とも無い。足元から友達の非難するような声が聞こえるが、僕は空しか見ていない。睨んでいたら、青は灰色と区別がつかなくなった。だから、僕はためらう事無くそこから飛び降りて、頭を打って死んだ。

***

 打ち所が良かったと言えばいいのだろうか。長い長い意識不明と入院期間の末、僕の目は青色に戻った空を見る事が出来た。
 信じられない事に、世界では、戦争が始まっていない事になっていた。あの時、確かに宣戦布告しようと飛行機が舞い、今まさに校庭に爆弾を落とそうとしていたのに。
 世界がどうなって、なぜ今誰もが生きていられるのか理解できない僕は、両親に泣きつかれながら、呆けていた。
 戦争は確かに起こったのだ。祖父の言う本当の恐怖を体験したのだ。今、回りが燃えかすじゃないのは、爆弾は落ちなかったか、偽者だったのだ。でも、それでも恐怖が偽者だという事にはならない。
 あの恐怖は真実だ。それは実際の戦争が起こった場合のものと何ら変わりは無い。だから、真実を体験した時、僕は逃げもせず、隠れもせず、声を上げも、当然立ち向かいもせず、ただ高い所から飛び降りて死のうとしたという事になる。
 それは認める事の出来ない弱虫だった。救いがたい卑劣だった。だから僕は自分のことを、やっと目の覚めた重症患者などと考えはしなかった。僕は――いやあいつはもう死んだのだと。

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 数日後、テレビで清涼飲料水のCMが流れた。さわやかな青い空に飛行機が連なり、尾のような雲を吐き出しては止めながら「POCARI SWEAT」と字を書いた。それを見て、へなへなと座り込むしかなかった。自分の中の何かが崩れた。以前より澄んだ景色の中心に、自らの弱虫と卑劣さだけが残っているのがわかった。

***

 退院後も学校は休み続け、もはや友達と同じ学年に居られないほど勉強が遅れた僕は、しばらく家庭教師を雇って勉強する事になった。街角の電柱の貼紙を見て母が電話をかけた。やって来た人は僕より十も上のお姉さんだった。
 コロコロと表情を変える、良く喋るそのお姉さんが、ある時言った。テレビには例のCMが流れている。
「このCMを撮影している所を偶然見てね、空に、たくさんの飛行機が飛んでいたんだ。私は戦争だと思って、絶望した。その時は大学生ってもののやり方がよくわからなくて、すごく貧乏だったんだよ。身も心もと言ったら良いのかしら。いつでも簡単に絶望できる環境だった。そして、容易に絶望できるという事は、容易に死にに行けるって事だった。どれほど大切に思われていても繋がれていても未練があっても関係ない。あなたは、私が一度死んだと言ったら信じる? 生まれた時、わたしは無力で、柔らかくて、空気は重くて、人の手は硬くて、お金も一円も持ってなかった。でも泣いていればちやほやされたはず。今、いくらかお金を得て、力を得て、身体はしっかり出来たし、人と喋ったら楽しい。でも泣いてるだけ、笑ってるだけじゃあ何をやってもうまくいかない。気持ちを何倍にも薄めて、つつましく目立たぬよう、常に最悪の不幸を想像して生きようとしちゃう。おじいちゃんやおばあちゃんに、戦争の話を聞いた事があるでしょう。わたしとあなたは戦争を知らない子供。でも、あなたは自分の世界で、擦り切れて、痛い思いをして、喜んで、笑って泣いて、戦ってるでしょう? 私はあなたの戦争の話を聞くわ。だから私の戦争の話も聞いて。そしてお互い、約束しましょう。決して退屈そうには聞かないと」

***

 大抵の人は、物心がつくまでに一つの命は失っている。
 けれど、何かを理解したい時、二つの命が必要な事がある。
 分け合うか、譲り受けるかもわからない。命は二つなくてはいけない。求めたいから、僕は奪わずに済む戦争の話をしなくてはいけない。