にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

カラクリ島の人々


 何と呼ぶべきか長々と迷ったのですが、日記にはカラクリ島と記す事にしました。そうは言っても、海の外に別の島が見えるわけでも無いし、太陽さえも歯車で自分の位置を定めているようにさえ見えます。となると、ここは一握りの地面だけを持った水球、カラクリ「星」なのではないかという気がしてなりません。島と呼ぼうと決めたのは、私が見る限りの世界でわかるのは、ここが島であるという事だけだからです。
 島の横縦、せいぜい歩いて数十分と、ここが甚だ狭い所なのは間違いなく、四方を囲む海の波が鳴る音と同じくらいに、終日とおして、カタ、カタと部品がかち合うような音が聞こえて参ります。
 時折大きな波が来ますと、カタタ、カタタ、と部品の音は大きくなって、海岸線をぐるりと防波堤がせり出てきて、波を押し返す仕組みでした。返った波も、遠く水平線の彼方で、やはり部品の音と共に折り返して来ますので、ともすれば、この波さえも歯車の成せる現象の一つなのかもしれません。
 島は上板と下板の二層から成っていて、ちょうど漢字の「串」のような具合です。家々は全て下板に建てられております。上板は島の地面で型を取ったみたいにでこぼこしていて、所々に穴が空いています。時折、その板が降りてきて、地面をぴったりと覆いつくし、島を守るのでした。穴は下板の家々をつぶさないための隙間なのです。台風が来て、防波堤を超える大波が来た後などは、上板だけが、音とともに斜めに持ち上がり、海に流木やくずを戻してやるのでした。
 島の中央には大きな灯台の如きものがあり、その先端には不細工なプロペラの様な物がくっ付いています。そのプロペラが地面に大きな影を作って、島の人々は時間を知るのです。毎日、影の形の通りに太陽が昇り、月が昇りしますので、私は不細工なプロペラが、ねじまきのように見えて仕方ありませんでした。もししばらくの事ねじまきを忘れてしまったら、島は闇の中で止まってしまうのではないかというほど、ゆっくりと動く灯台のプロペラは、島のカタカタと言う音に似合っていました。
 私が住んでいるのは、そういう島でした。
 先ほど、人々、という表現をしましたが、ここに住んでいるのは私以外に10人だけです。皆それぞれ役割があります。歌う人と、踊る人、音を鳴らす人、絵を描く人、祈る人、そして笑う人が五人です。私は、笑う人の六人目になりました。
 言葉は通じません。言葉があるのかもわかりません。長くここに居ますが、住人達が発する音に何ら法則性のようなものは見受けられませんでした。何かを伝えるというよりは、例えば歌う人ならば声を発し、踊る人ならば息を漏らし、というように、ただ空気の出入りと、その最中に出来てしまった音だけがあるように感じます。そして、それ以上の性質などいらないというように、単調だったとしても、島は勤勉に歴史を作っていました。

***

 カタタ、カタタの後、ガタン、と揺れたら朝です。その音は大きく、私以外の十の住人たちも全く同時に目が覚めているに違い在りません。それもきっと、眠気や気だるさなんて微塵も感じさせないように、むっくと起き上がりすぐさま立っては歩き始めているのでしょう。何故なら、私が外に出る頃にはもう皆外へ出ていて、思い思いに歌を、踊りを楽しんでいるからです。島だけで無く、此処の人々もまたカラクリの如く正確に日を刻んでいます。
 島の周囲をゆっくりと回り続ける車輪付きの風見鶏を脇目に見ながら、私に宛がわれた家から島の中央まで真っ直ぐ結んだ一本の道を歩きます。どうしても、カタ、カタタ、と鳴る音と歩く拍子をしっかり重ねてしまいます。防波堤は未だ低くあり、今日の所は大きな波は無さそうです。
 道すがら歌う人が居て、私を見て歌を変えたので、私も笑いました。歌がどんな言葉で作られた音なのかはわかりません。けれど、自分の持つ表現方法を正確に返すだけで、コミニュケーションは成り立ちます。面倒でないので、私はこの方法に大いに満足していました。
 踊る人に笑い返し、音を鳴らす人、絵を描く人にも同様に笑いました。祈る人にも笑ったのですが、こちらは目を瞑っていたので見えなかったに違いありません。けれど、見えなかろうが笑う事こそが、祈る人への挨拶になるはずです。そしてそれが、笑う人である私の役割なのです。
 プロペラの根元に付くと、そこには既に五人の笑う人が居ました。朝笑う人のする事は皆同じですから、当然と言えば当然でした。
 道の果てにある小さな丘の、取っ手の付いた円形の蓋を開けると、地面の中にはトロッコが到着していました。やはりカラクリによってここまでを旅してきたと思われるトロッコには、食べ物がたっぷりと積んであります。土の中のレールの果ては海の外へと繋がっているのか遠く見えなくて、誰がどうして食べ物をよこしてくれるのかはわかりません。このレールを辿って調べようとも思いましたが、一日で果てに辿り着けなかったなら、毎朝来るこのトロッコに、体が押しつぶされてしまうのは間違いの無い事です。それを想像するに、私は調べるのをとうとう諦めました。
 この食べ物の到着が無くなったら、私達はきっと生きては行けないでしょう。けれど、これらの物資がやって来ない事は、これまで一度もありませんでした。
 奪い合う事も無く充分にある食料を持って、笑う人たちはそれぞれの場所へ向かいます。ある者は、歌う人を見て、一緒に笑っては、食べ物を置いて帰ります。踊る人を見に行って食べ物を置き、音を鳴らす人の所へも行って食べ物を置く、忙しい笑う人も居ました。私は今日食べ物が少なかったと見える、絵を描く人と祈る人の元へ行き、充分な食べ物を置きました。
 笑う人は家に帰ると、手元に残った食べ物を食べます。帰り際に出会った笑う人などは、手元にいくらも残っていませんでしたが、とても満足そうな顔をしていました。
 灯台のプロペラの影が二周と半分を過ぎた頃、島の上板では住民全てが集合し、やはり歌ったり踊ったり、笑ったりするのです。今日は音を鳴らす人の拍子に合わせて、絵を描く人が一枚、大きなやつを仕上げました。笑う人はいよいよ笑っていました。その間中大きな波も無かったのは、祈る人のおかげかもしれません。
 けれど、真横から来る水ばかりを心配していた為か、悲しい水は真上から来てしまったのです。雨は最初はぽつぽつと気配を出していましたが、じきに大降りになりました。
 集まっていた住人は皆慌てて家に帰ります。
 雨くらい、どうという事も無いだろうに、と、以前は思っていました。けれど、どうやら雨こそが、深刻なのです。
 私が思うに、ここはカラクリ島なので、雨で油が流れて、ねじまきが錆びてしまったとしたら、誰一人、もう生きては行けないのでしょう。雨が降るたびに、刻々と歳を取るように、余命が失われて行くのでしょう。

***

 夜の間中、雨は屋根を叩き、雷が窓を軋ませていました。初めて経験する長い、強い雨と雷でした。私はこの世界がつくりものでは無い、とその時ふと思ったのです。何もかもが歯車やねじまきで動いているようなこの島に、その電気の槌は不思議と生々しく、私達が持つ暗い感覚のドームを突き破って来るみたいでした。カタ、カタという音は雨と雷鳴にすっかりかき消され、今外を歩いた所で歩幅を操られる事も無いでしょう。忘れるなよ生命、と言うように空が唸ります。
 私はどこか高揚する気分を抑える事が出来なくなっていました。明日、朝がやってくる頃にはどうにかなって、もう以前の朝に戻る事は無いのではないか、家を打つ音には、そう思わせる何かがありました。考え始めると、夜を騒がしく満たす音たちが、いよいよ攻撃的に、乱暴に響いて来るように思えます。風が轟々と吹き始め、攫った小石を次々に窓に当てては音を立てます。雲を割る光があまりにも強いので、時々昼よりも外が白くなりました。
 一方で、私の破滅的な考えもまた回転をやめられなくなりました。例えば、この島で一番高い、あの灯台のプロペラに、光は突き刺さるのでは無いかしらん。そうなれば、この島のねじを巻くものはもうありません。時は止まって、朝も昼も無いまま、いつまでも何も起こらなくなるでしょう。返す波はもう無く、防波堤は沈んだまま、風見鶏は回らず、落ちかけの雷と、飛んだ最中の木の葉が、空中でぴたりと止まった様子を私は思い浮かべました。
 この夜を放っておいて眠りに付くなどとても出来ませんでした。私は目をぎんぎんに開いたまま、一つの稲光も逃すまいというように、窓を見つめていました。
 それだというのに、雨のあがった瞬間は、とうとうわかりませんでした。一睡もしないまま、見つめたはずの窓からはいつの間にか白の射線が延び、部屋の床を四角に切り取っています。どこか無機な、小鳥の鳴き声が聞こえます。あの風見鶏が鳴いているのかと思いました。
 カタタ、カタタの後、ガタンと鳴りました。寿命を心配した住人たちは、今日もむくっと起き上がり、あれよと言う間に、自らの場所へと行っているのだろうか。私はいつに無い速さで体を起こし、外に出ました。
 島の「串」の上板が持ち上がり、木屑や飛んだ石を全て海に返しています。その中央に、灯台は損なわれる事なく立っていました。別段残念という事もなく、私はその根元の、食べ物の元へと向かいます。いつものように、笑う事で挨拶をしました。祈る人は、今日も一生懸命で目を瞑っていたけれど、同じように笑いかけました。
 食べ物のトロッコは到着していました。何もかもが変わらない様に見えたのです。けれど、無視を決め込むには、あまりに不自然で、私は立ち止まりました。誰も、不自然そうな顔などしてくれるわけが無いので、私くらいは、そうしなければと思ったのです。
 食べ物を手に取る笑う人が四人、一人がそこに居ません。変わりに、トロッコが到着する円形の穴の横に、雑に集めて寄せられたと見える、歯車と、ねじや、針金や、木屑なんかの山がありました。一人分が、まるでその部品たちで出来ていたのだというように、木屑の傾いた具合が、なんだか手のひらのように見えました。

***

 その次の朝も、また次の朝も、笑う人は一人見当たりませんでした。誰一人気にする様子もありません。気にしていたとしても、それを確認する術はありません。歌ったり、笑ったり、それぞれの行いだけが正確に続いていました。
 灯台の下に届く食べ物も、やはり変わらない量が届きました。笑う人の誰も、多めに取っていくという事は無く、これまで減っていた一人分が、いつも残されるようになりました。だから、絵を描いたり、祈ったりする人の元に配られる分が、ちょっとは減ってしまうのかもしれません。往復して、私がもう一人分を配り歩こうかと思いました。けど、歌や踊りに陰りがあるようにも見えないので、やめました。
 どういうわけか減った島の住人に、驚くでもなく、悲しむでもなく、やはり勤勉にカタ、カタタという音が響きます。地面の影を動かしながら、歩幅だけでなく、考える私の頭の中も整理し、並べなおそうとしているようでした。
 笑う人が消えた日、そこにあった歯車やねじ、それは死体だったのじゃないかしら。つまり、消えた笑う人は死んだのでは無いかしら、死んだのカタ、カタタ。けれど、死んだら血が流れるもので、歯車がこぼれるわけはない。だけど、あれは死んカタ、カタタ。あの歯車は何だったのだろう。きっと大事なものだろう。放っておくなんてきカタ、カタタ。馬鹿らしい。雨風が運んだ、海のゴミだ。気にするな。カタ、カタタ。明日はどんな食べ物が届くのかしら。カタ、カタタ。
 実を言えば、私は、この日記を、ずっと、ずっと遡って、思い出し思い出し書いているのです。だからこそ、わかるのです。あの音を、私たちの誰もが間違って聞いていたのだと思います。あの音がしようとしている事は、私達に時間を知らせる事でもなく、歩幅をしっかりと揃える事でも無い。入り込んで、内側から狂わせてしまおうという、ちぐはぐな歯車の音なのです。
 けれど、音は私にそれを思いつかせないように、何度も何度も、頭を整然と、一見してどうでもないふうに並べなおしては、朝を呼びました。幾度と無く食べ物を取りに行き、目を瞑った祈る人に食べ物を届けました。とうとう、すっかり、笑う人が居た事など、忘れてしまっていました。
 今、一つ心配な事があります。あの音を聞くたびに忘れてきた、多くの物事を、こうやって掘り起こして日記に書ける事は喜びでさえあります。けど、音を聞くたび、何かを忘れていく事もまた確かのようです。寝ても、歩いても、食べても響く音に気づいた時、いつだって、すっきりとした自分の頭に気づくのです。それは、ただの心地よさのようであり、複雑な空虚さのようでもありました。
 だから心配なのです。私はいずれ、文字を忘れるでしょう。そうなれば、もう日記は書けないでしょう。書けなければ、私は笑う以外、何も出来ない事になるでしょう。音を、止めなくてはいけないのかもしれません。けれど、あれは歯車の音です。止めた時、食べ物は届くのか。打ち寄せる波を払えるのか。私は生きてゆけるのか。それはわかりません。

***

 そしてある日、再び、強い雨と雷が、カラクリ島を打ちました。
 部屋に閉じこもりながら、私は例によって、高ぶっていく気持ちに気がつきました。目を知らずのうちに大きく開いていました。口を開け放している顔が窓に映り込んでいます。稲光が去るほどに、その口元が少しずつ笑っていくようです。今日のやつは、一段とと凄いぞ、と私は思いました。先日の雨とそう違わなかっただろうけれど、日々均一なあの歯車の音に慣れ切っていれば、この雨音と雷鳴に驚かないわけにはいきません。
 ちょうど、その日だったと思います。私は日記をつけよう、と思ったのでした。日が高い内は、何でもふとどうでも良くなってしまい、何かを考えたり何かをしたりには向きません。けれど、この雨音が叩きつけ、雷が鼓膜を目覚めさていせる間だけ、私は何だって出来るのです。雨の日にだけ、私は日記が書けるのです。
 その時にはもう、私はあのカラクリの音に疑いを持っていました。聞き続ければ、何もかも忘れていくような気がしていました。遠く以前の事を書こうと思う程、それは確信に近づいて行きました。既にして、思い出せない事が多すぎました。
 事実、この日記を書き始めの一文まで、私は随分と時間を使いました。なぜなら、どうやってここへ来て、ここで過ごす事になったのか。先ずの所さえ、一切の記憶が見当たらないのです。恐らくは漂流したのでしょう。脳の中に、幼少の自分の姿はとっくに欠落しているけれど、それ程の昔からここに住んでいたとは思えませんでした。なぜ、この島に私の家があったのかもわかりません。トロッコで食べ物が届くというのも、言葉がわからないというのも、何ともオカシナ話です。
 いえ、そんな事は全て些細なものでした。どう思い直しても、やっぱり一番の変は、そんなオカシナ話を少しもオカシイと思わず過ごしてきた、私のこの脳の中だというのは明らかでした。
 急に、夜が冷やした全ての空気が、キィンと鳴るように、私の背中を突如襲ったように、不安になりました。その一瞬だけ、雨も雷も歯車も音をやめ、私の耳は私の音だけを拾いました。心臓の音が、聞こえたような、聞こえなかったような気がします。
 ナゼ、今まで私は、不安にさえ思わなかった。これはオカシイ。どうにもオカシイ。
 窓の外、波を跳ね返す堤防はいよいよ高くせりあがっていて、狭いこの島を一層狭く押し寄せさせていました。お前が不安なんかになるから、隔てなくてはいけなくなったではないか、とでも言うように、歯車によって、その壁は高く高く伸びていました。
 伸びる壁と戦うような気持ちで、私は頭をひねり、オカシイと思う事を探して、不安になりながら、日記をひたすらに書きました。余り、時間が無いような気がしていました。奪われるのか只消えるのか、私の何もかもが無くなるまで、そう時間が無いような気がしていました。
 手の動く限りに書いて、書き続けました。ふとペンを取り落として、床に転がしてしまったのですが、私はそれを拾うのが、なんだか物凄く面倒な気がしました。実につまらない労力であると思えました。気がつけばその時、雨は上がっていて、また朝が来ていました。カタ、カタタ、と音が響いていました。

***

 雨上がりの朝、歌う人と笑う人が一人ずつ、消えていました。小さな島だとは言え、隠れる場所くらいはきっとあるでしょう。ですから、本当に消えたと知る為には、もっともっと、念入りに探す必要があるでしょう。けれど、私はその二人が、もう居ないと感じています。食べ物が届く灯台の下に、前の雨上がりの二倍ほど、大きな歯車と木屑の山が出来ていました。まるっきり、同じ考えが頭をよぎりました。この歯車と木屑をくみ上げたら、人が二人分、出来上がるのではないか、という事です。
 実際に試してみようかとさえ思いました。けど、出来ませんでした。よほど組み立てようという気持ちで歯車の山を見つめていると、私のその様子を、残った四人の笑う人が、食べ物を得るのを止めてずっとこちらを見て笑っていたからでした。その顔は、何を気にしているんだ、と可笑しがっているようにも見え、またくだらない事をするな、と暗に示しているようにも見えます。私が歯車に手を伸ばした途端、襲い掛かってくるのではないか、とも思えます。それくらい、どうとでも取れる笑い顔でした。
 何にしろ夜です。夜にやるべきだと私は思いました。一度も感じたことの無かった疑念に、私は捕らわれ始めたのです。笑うだけ、踊るだけ、絵を描くだけのこの人たちが、本当に安全なのだろうか。私は、彼らは、何のためにここにいるのだろうか。ヨクモマア、こんな事も不思議がらずに、今日マデを、カタ、カタタ、ト、オトが鳴りました。
 充分な食料を取り、踊る人、音を鳴らす人、絵を描く人、祈る人にも置いて回り、家へと向かいます。島の上板が高く持ち上がり、水溜りを乾かそうとしているようです。折れた風見鶏が島を見張るように動いています。防波堤は壊れた箇所を確認するよう、ゆっくりと上り下りを繰り返します。歌う人の居なくなった島は、少しだけ静かに感じます。今が静かなだけではなく、これから、歌に併せて踊ったり、歌に併せて絵を描いたり、そういった事が永久に出来なくなった、遠く向こうへと続く静けさのように感じます。
 家に帰り、私は食べ物を口に運びながら、本を読んで過ごしました。また、オカシナ本だったのですが、その日は他にするべき事も思いつきませんでした。踊りを見る気分でも、絵を見る気分でも無かったのです。一緒に祈るという事なら、考えたのですが、私に出来る祈りとは、せいぜい笑う事くらいなのです。
 やがて、夜が来ました。静かな夜でした。絶え間ない例の音さえ取り除けば、この世に音があるのかと疑う事も出来そうです。私は本を読み終えて、また何か忘れている心持ちがしていましたが、この音の合間にそれを思い出せるはずがありません。このまま、忘れていながら、忘れていくのだと、今日もこうやって眠るだけなのだと、思いました。けれど、カタ、カタと響く音のほかに、音が聞こえてきたのです。
 それは太鼓の音です。朝、食べ物を取りにの行き帰りに、私はいつもその音を聞いています。音を鳴らす人の太鼓の音です。音は近づいてきて、ちょうど家の裏手あたりで止まります。太鼓の音に隠れて、あの忌々しい歯車の音は聞こえなくなります。そのまま、いつまでもいつまでも、音を鳴らす人は太鼓を叩き続けるのです。
 外に飛び出してその姿を見ようと思いました。けれど、太鼓の音が望んでいる事はそうではないのです。言葉などわからないので、思い込みかもしれません。けど、確かにこう言っているように聞こえました。忘れるな。思い出せ。歯車の音を聞くな。その間、太鼓を鳴らしていてやる。忘れるな。思い出せ。
 心音が速度を増して、太鼓と合わさるかという時、私は漸く、ああ、今日という日を、またしても漫然と、アッケラカンと過ごしてしまったのだと思い至りました。もちろん、たかだか笑う人に何が出来ましょう、という思いもあります。けど、音を鳴らす人だって、此れ程に必死に、私に訴えている。もはや、雨の日に日記を書くだけでは足りないのです。
 太鼓の音が響く中、私は考えます。強い雨の次の朝、その二回とも、人が消えました。代わりに歯車の山がありました。だからと言って、何を納得できるでしょう。私達は忽然と消えたりはしません。消えたとして、そのまま変わる事なく続いていく日などありません。
 歌う人と、笑う人を二人、探さなくてはいけません。死んだというなら、死体を探さなくてはいけません。
 家を出ると、夜の道はまるで違う景色です。歩くと、太鼓の音は遠ざかります。しっかりと、自分の心音に耳を傾けて、灯台の下を目指し歩きます。海を見やれば、どこか調子が悪いのか、防波堤が下がったままです。この島の事を何も知ってはいなかった、と思わなくてはいけませんでした。波など一つも立ってはいないのです。防波堤など、飾りだったのです。どうやら、この水の果てもやはりカラクリで、波を作って寄こしていただけなのです。

***

 星を見張る時計のように、外へ出ると一層あの音は勤勉に響いています。極力、そちらへ意識を向けないよう、私は走る事にしました。拍子を合わせてしまわずに済むし、心音を強く聞けるからでした。
 今まで何者にも、どんな抗力も受けてこなかった歯車の音は、きっと初めて邪魔をされているのです。風にも、住む人々にも押し留められる事もなく、迷わずただ動いていたカラクリの根が、私の新しい歩幅と、未だ響いているであろう太鼓の激しい音によって始めてかき乱されようとしているのです。
 灯台の下と家を結ぶ一本の道を外れて、島を走ります。随分と長く、道の外を見ては居なかったようで、どこに何があるのか全く検討も付きません。木の陰を、大岩の裏を丹念に調べては、息が整う前に別を探します。時折、巡ってきた風見鶏の車輪の音が近づくと、身を屈めてやり過ごします。今、歯車で動いていそうな者たちに、心音で動いているこの身を見せてはいけない気がしたのでした。胴体の折れた風見鶏が遠ざかると、また月の下へ飛び出しました。星を出鱈目に数えて拍子を少しでも崩そうと心がけました。夜の間は、島の上板が地面にまで降りて来ているので、空が良く見えます。
 隅々を探して回ります。笑う人が二人と、歌う人がどこかに隠れている、と考えていたのかはわかりません。死体を探していたのかもしれません。何も無いと感じていて、ただ確認しているのかもしれません。自分がどう考えていたにせよ、あの歯車の音が自分を仕舞い込まない夜はそう多くないはずで、この夜に出来る事はしてしまいたかったのです。
 けれどやはり、島に彼らの姿はありませんでした。残された場所は、食べ物が届くトロッコのあの深い穴しかありません。足がそれを感じたように、自然と私は灯台の真下へと来ていました。
 トロッコ一台分が通れる程度の、レールの敷かれた横穴を見ながら、私は心音とあがった息に頼って考えます。月はまだ高くありました。けど、朝が近づけば、食べ物を届けようとトロッコがやってきます。この中へ留まったなら、それは容赦なく私を押しつぶすに違いありません。
 時間を計って、折り返して間に合う、辛うじての場所までを這っていこうか。けれど、この島に時間を知らせるのはあの歯車の音だけで、それを頼りにすればきっと良い事にはならない。考えては、頭を過ぎります。三人が消えた時、かならずこの穴の側に、歯車の山が積まれていたのです。
 息が整っていくのを感じます。月はまだ高くありますが、時間の問題です。朝になれば、ぴったりと地面についた上板は再び高く持ち上がり、夜の間に地面に溜まった、塵くずや要らないものを全部、海らしい水に返してやるでしょう。その中には、私も含まれているかもしれません。朝になれば、全てを無かった事にして、また始める事が出来る島なのです。
 何故でしょうか。その時ふと、祈り続けるあの人の顔が浮かびました。一度もこちらを見ず、丹念に、一心に手を合わせ、誰かに何かを届けようとしている姿が痛烈に、私を打ちました。その様子が、否応無く私に勇気を沸き起こさせるのです。
 歯車の音がどうした。時間が何だ。そんなもの、おおよそだ。
 光は全く無く、先も見えません。狭いのに、あの歯車の音がいよいよと大きくなって聞こえます。太鼓を思い出し、心音から目を離さないようにしながら、おおよその朝まで、私は、その横穴を進みます。

***

 赤ん坊のようについた四足から、ひんやりと続いていく金属の感触があり、それを頼りに、暗い道を進みます。土壁は張り巡らされた木で固く覆われて、崩れる心配をする必要は無さそうでした。ただ狭いので、レールを伝わなくてはすぐに肩をぶつけてしまいます。レールも固い角が私の手を押すので、結局どちらにしても痛いのですが、私は肩よりも、手の痛みを選びました。土や黴が鼻を通り、肺を容赦なく汚そうとしているようでした。手足を進めながら、呼吸と痛み、と私は思います。その汚れた空気さえ、だんだんと手を痛めつける冷たい金属の感触さえ、私は嬉しく思っているようでした。
 島を走り回るよりも汗をかいています。暗い道に少しでも心音を響かせるように考えながら、今も鳴っているであろう歯車の拍子を少しでも遠ざけようとしながら、前へ進みます。外側に付いた耳をなだめて、内側に繋がっている耳の根元を騙しながら、歯車の音がいよいよ大きく響いているに違いない道の先へと逆らうように進みます。
 私はその時、すっかりと信じ込む事が出来ていたのです。島には依然として間違いの無い仕組みが横たわっていて、私はそこにぽっかりと浮いたただ一つの異分子なのだと。ただ一人私だけが、この道を逆行し、突き止める事が出来るのだと、そして、しなくてはいけないのだと、信じていたのです。
 奥には私に目撃される為に、秘された仕組みの、最初の歯車があるのです。それは島の意味で、私たち住人は、そこで漸く、歯車に過ぎなかった自分の身体を知るのです。全てを知って、なおも逆らう事で、アタリマエに生きていた自分をヤット思い出すのです。
 手と足を前へ出します。汗がどっと噴き出てきます。屈めた身体の痛む箇所が、着々と増えていきます。空気が肺を汚し続けます。喉から、掠れた音が鳴ります。鼓動が高鳴ります。それはアタリマエに生きている証で、ウツクシイ疲れた証拠でした。ドロドロに溶けた身体が、少しずつ闇と同じモノへと向かって紛れて行くようです。そのツカレにつけ込むように、忌々しい音が今にも入り込もうとしているに違いありません。心臓が打っているのに、身体が歯車の音を拒む力を失っていく気がして、私は恐れます。唇がつったように震えるのを感じました。気がつけば、私は全身全霊、あらゆる努力でもって、あと一歩の瀬戸際で歯車の音を耐えているに過ぎないのでした。暗い道を進み、いよいよ例の音は大きく響いているに違い在りません。イヨイヨ、例の音は大きく響いているに違い在りません。心臓に向け続けていた耳の根も疲れ果てています。呼吸の音をあっと言う間に吸い込む暗闇の中、かすかに残る太鼓の残響を思い出しながら、あの時何故か頭に浮かんだ、祈る人を思い出しながら。その穏やかな心音を想像して、タダ一方的に向けた笑顔を少し恥じて、慈しんで、それでも身体がヒメイをあげ続けテ……。
 音が、聞こえなくなっては、音が、聞こえてしまうから、音が、欲しいのですが、身体が鈍く重くなるばかりです。時間が、今、どれくらい経ったのか、わかりません。心音は、時計とは違って、誰にも、均一でなく。
 この島と島の外を結ぶ暗い道で、私は境目に居ました。レールに乗せた手は痛みを感じる事も忘れ行き、疲れて闇に身体が同化するように、手も金属に吸い込まれていくのかもしれません。そうすれば、まるで歯車のようになった自分の手に、気づく時が来るのかもしれません。朽ちてうちあげられ、歯車と木屑の山になった我が身が地に横たわり、仕組みが海へ返してやるのかもしれません。その考えに、私は力なく笑う事も出来ます。それが私の役割でした。
 どうにも感覚の無くなった手足を携えながら、絶え絶えの息を一つの温度や、音と感じながら、けれど私は笑う事はしませんでした。
 代わりに、誰の為や何の為でなく、ただ、祈りました。
 祈りは、捧げては消えるような儚いものだと知ります。変えたり、残ったりを期待させるでもなく、数秒の自分を静かにするくらいの力しかありません。けれど、音が聞こえました。それは、自身の心音ではありませんでした。あの歯車の音でもありません。
 それは低く響き、微かな振動を手に伝えました。重い鎖で満ちた海の波の音のような、波紋ではなく一直線に進む強い音でした。轟々と響いて、こちらへ向かってくるのです。
 すぐに、心音も歯車も聞こえなくなります。この音が意味する未来は、映像として鮮明に私を警告しました。湿って汚れた顔にふわりと風が吹く気がしました。もはや明らかでした。金属を擦る車輪の回転を早め、今にも押しつぶそうとトロッコが迫っているのです。
 大きな声を上げました。いつぶりかもわからない大声で、一瞬で喉がつぶれます。出した声で轟音を押し戻そうというように、身体が勝手にそうしました。もちろん、迫る音を押し戻せはしません。
 暗い道、近づく音に、いつ眼前に巨大な塊が迫るとも知れず、身をひねりました。後退するにも穴は狭すぎました。あちこちに身体を打ち、けれど痛みよりも増して音が恐ろしく、気にする間もありません。全くどうやったのか、頭を、肩を何度もぶつけながら、身を返しました。痛みを無視して、身体を通っているはずの肉の、骨の、曲がるべき方向を無視して、私はとにかく、身体の向きを変え、ある限りの力で道を戻りました。そうしている間にも音は迫ります。粘り気のある汗が額や手を覆っています。もしかしたら、私に流れていた血なのかもしれません。どれほどを這って来たのか検討も付きません。ひょっとしたら、身体の向きさえ、上手く変えられていなかったのではないかと、疑念が沸きます。進む方向から、突如トロッコが現われて、この身を押しつぶす想像をします。押しつぶして、灯台の元までを走り、ガタン、と鳴らすのです。それは朝の合図で、私はそのすぐ側に、歯車と木屑となって横たわるのです。着々と大きくなる車輪の音から逃げていると信じて、進むよりありません。迫る気配が、後ろ足の先をひりひりとさせます。轟音は益々大きくなります。島を囲う風見鶏のように、私の周りを、いつでも押しつぶせるぞと回っているようにさえ感じます。
 あっという間だったのか、果てしなく長い時間だったのか、漸く見えた光に飛び込んで身を転がしました。すぐ後ろから、トロッコが大きな音を立てて、私の幻影を押しつぶすように衝突し、止まります。顔も手も、土なのか血なのか、とにかく茶けていましたが、私は何とか、命を取り留めたようでした。
 停止したトロッコには、山ほどの石が積んでありました。人を押しつぶすのに充分な重さを得て、いつにも増して強い力で暗い道を突き進んでいたのです。頭が少しずつはっきりとしていき、自分の呼吸に気づきます。すっかりと明るくなっている島を見回そうとして、私は驚きました。
 笑う人が三人、じっと、こちらを見ていたのです。今までとは違う、はっきりと敵意のある笑い方のように見えました。いつものように、笑い返す事など出来そうもありませんでした。すぐにでも、逃げ出したいと思いました。けれど、ここへ来るまでの間に微塵も残さずに力を使ってしまったようで、全く身体は動こうとしませんでした。三人は互いの様子を伺いながら、一歩、また一歩とこちらへ近づいてきます。声も出ません。恐ろしくて、どれほど目を見開いていたかも知れません。けれど、その引きつった顔も、笑っているようには見えなかったのでしょう。笑う人たちは詰め寄り、私はとうとう、気を失いました。
 遠目に微かに、ここへ来るはずの無い、祈る人の姿を見たような気がしました。カタ、カタタ、と音が鳴っています。

***

 灯台の影が朝を示し、調子を落とした防波堤の軋む音も同じように朝を示します。ガタン、の音は聞き逃しましたがきっと鳴っていたでしょう。私は半ば義務的に、随分と危険な目にあったと考え、やはり義務的に、笑う人や、残った人々に不審がられないだろうかという心配にかられました。そうしなくては忘れてしまう、と警告する自分が居た為です。けれども、深く長く考えるには記憶は随分と風化してチッポケになっておりましたし、案外、別段と変わらない日が続いていくのだろうという気もします。
 寝ていたのはたった一晩では無かったかもしれません。思いのほか痛みや重みから快復しているこの身も、忘れる事を後押ししました。
 私の心音とあれほど戦った歯車の音も、少しの衰えも無く続いているので、島はまだ生きているのです。あの日に訪れた、勇壮で果敢な、一度きりの自分も、何一つ変える事は無かったのだと思いました。微かに、ほんの僅かに、悔しいような、怒りに燃えるような、何かしら身を震わせる感情が降りてきましたが、それも一瞬の事でした。金属のかち合うような音が響きます。島の歯車は磨耗する事も無く、音を立て続けています。もはや私には、あの音が死の仕組みなのか、生の仕組みなのかわかりません。確実な時を永遠に告げながら、私を漫然と生かし続け、朝の光が届く頃には、昨日までの苦痛も何一つ持ち込む事もありません。
 食べ物を取りに歩くと、音を鳴らす人と、笑う人が一人ずつ居ませんでした。これで島には、私も含めて六人しか居なくなりました。笑う人が二人と、踊る人、絵を描く人、そして祈る人です。随分と寂しくなった気がするのも、きっと私だけ、それも、今の私だけなのでしょう。
 けれど、けれど今も信じている事があります。その時の私は、ただひたすらに諦めたり、忘れる事を望んだりしていたわけでは、決して無かったはずです。整然と並べ替えられていく記憶をできるだけ動かすまいと、消されていく不都合を追いかけ、奪い返そうと思っていたはずです。否が応でものんべんだらりに墜ち行く脳の片隅で、好き勝手に置き換わる気持ちや現状に歯噛みし、血に塗れながら、例えば本能と呼ぶべき部分は、まだ変化を望んでいたと思うのです。
 祈る人へ食べ物を運びました。その人を見ている時、私の中に本能の火が微かにちらつきました。祈る人は動かず、目は固く閉ざされています。側に他の人が居ない事を確認して、私も目を閉じ、手を合わせました。刹那、周囲が静かになった気がしました。
 勿論、気のせいに違い在りません。歯車は以前として、音をたてています。けれども、私は目蓋の裏を見ながら、胸の上と、頭の後ろの辺りに、しん、と落ちてくる霞のようなものを感じていました。これが、祈る人の感じている世界ならば、私はあの音を、それほど気にしなくて済むようなのです。

***

 家に帰ると、私は本を手に取ります。ほとんど飾りのように持ち、何も考えずにページを捲ります。内容などほとんど頭に入っては来ませんでしたが、捲る事こそが重要でした。この島では反復する事こそが生きる事で、反復に気づく事とは反逆なのです。生きて、反逆するために、捲りながら私は考えました。
 もうこの島に、歌はありません。音はありません。ただひっそりと絵は描かれ、祈られ、踊りは激しくても、きっと寂しいものになります。
 ページを捲ります。私は、笑う人でした。あの歯車の音やこの島の仕組みのひとつとして、それはアタリマエの、定められている物事なのだと思っていました。けれど、それは自らが決めた事なのかもしれません。都合が悪ければ忘れていくのは、この島では良くある事でした。
 ページを捲ります。もう音の無いこの島だから、音を鳴らす人になりたいと思いました。実際、出来る気がしました。あの暗い横穴で、つい先ほどの帰り道で、私は祈る事が出来たし、こうやって、日記を書く人でもあったのです。
 ページを捲ります。歯車の音に足止めされているのか、あるいは急かされているのか、皆、出来る他の事を忘れているのかもしれません。その身に染み付いた一番の事を、一心にやっているだけなのです。それは恐ろしく、効率的なプロペラのように、時間と力をしっかりと、歯車のように噛み合わせる方法でした。
 ページを捲ります。私が思うに、だからこそ、歌う人と音を鳴らす人は、居なくなったのです。歌と太鼓は歯車の音を紛らわし、仕組みの外へと揺らぎながら足を踏み出し、命を縮めてしまったのです。歯車など無くても、無心の人など在り得なくて、ただアタリマエの風化を見ながら、私のように苦しみ、どうも出来ないまま身を燃やしているのです。
 本を棚に戻します。棚を見て、私は息をのみました。そこには、何十、何百冊の本の背表紙が、ずらりと並んでいました。何もかもが曖昧な、浮かんでは消えていく疑念を、その時私は、もう一つ掘り起こして震えました。
 私は長く生きて、何度も日記を書き記しているのではないでしょうか。書き上げて、その事をスッカリ忘れてしまっているのではないでしょうか。ここに並ぶ全ての本が、全て私の作品なのではないでしょうか。もう長く、結局変えられなかった毎日を、結局変えられないまま何度も体験しているのではないでしょうか。
 暗雲は一瞬で空を覆い尽くしました。
 そして、カラクリ島に、最後の雨が降り出しました。
 これまでに生きた中の、どんな雨よりも、ずっと激しい雨でした。私がどれほど忘れていようとも、それは確かなように思えました。雷光は鋭く、金属のように煌いて、生々しい生命の音を立てました。
 消えていった人たちを思います。誰もがもがき、変えられなかったのです。雨が身を錆びさせても、歯車が忘れさせても、けれど風化が終わるまでは歌い続け、笑い続けなくてはいけません。
 太鼓の音を思い出します。あの夜の音を鳴らす人のように、私は家を飛び出し、島にある家々へ走ります。片端から戸を殴り、中へ居るはずの、雨に怯える人へ向けて、大声で笑い声を聞かせるのです。歌は知らないし、楽器も知りませんから、それが私が出せる音です。
 また、祈る人の顔が浮かびました。どうしても、気にかかってしまう人のようでした。そして、思い出す度に、どうしても色付いてしまう人でした。この世の境界のような暗い道の中にあっても、暗雲と稲光の白黒の最中にあっても、その顔はいつも豊かで、無邪気な色に包まれていました。濡れたような黒い睫を伏せて、小さな珠のような唇を、小さく結んでいる姿が、俯く顔に日が差し、薔薇色から少しずつ桃色へと移り変わる頬の色が、やがて透けてしまうのでは無いかというように美しいのでした。
 戸を叩き、笑い声をあげます。初めて正しい笑い方をしていると思いました。恐らくここは踊る人の家です。負けるな、というように笑います。忘れるな、思い出せ、と言っていた、あの太鼓の音を真似て。走っては、戸を叩きます。雨が、肌に、目や、口に、痛いほどに叩きつけられ、そして染みこんで行くのを感じます。
 調子の悪い防波堤は、もうすっかり動きません。風見鶏は割れて、損なわれたまま島をぎこちなく回っています。あの灯台のプロペラも、どこかにある最初の歯車も、私の身体も、皆アタリマエの風化にさらされ、永遠に失い続けながら今この島にあります。
 走り、叩き、笑いました。動かせる自分を動かし尽くすように、全ての力でもって、走り、叩き、笑いました。朝が来て、すっかり上がった雨が残した湿った地面に、歯車と木屑が無いように、そしてもう一つは、ひどく個人的だけれど、その朝に、祈る人の、美しい顔があるように。

***


 あれほどの雨を撒き散らしたにも関わらず、空はまだ黒くありました。私はその日初めて、トロッコの元へと一番乗りでやってきて、乱暴に衝突するそれの中から食べ物を両手に抱え取り、足のような、棒のような、私に生えた二本をやっとの事で動かしながら、皆が出てくるのを待っていました。
 雨は上がったとは言え、日の差さない朝はいかにも久々で、あの風車や堤防のように、何かが壊れてしまったのかと思います。だからと言って、何が違うと言えば、違わないのかもしれません。自分の力の及ぶ事の無い、気づいた時には出来上がっていた仕組みの中で、同じように過ごすより他ありません。もしかしたら、その仕組みだって変える事は出来るのでしょう。けれどその労力は、必ず生命を賭すような規模になっていくのでしょう。
 早くに外へ出ている私を見て、笑う人が二人、どこか気まずそうに笑いながらやって来ました。笑い返すと、今日の関わりは終わりというように、歩き去ります。明日も生きていれば、もっと長く笑い合っているかもしれません。まだ、そうはならないかもしれません。
 踊る人の家へと向かいます。そこには誰の気配も無くて、家の前には黙ったままの歯車と、木屑の山がもの寂しげに横たわっています。煤けたその歯車に触れると、外気よりも暖かくて、ほんの少し前まではずっと回っていたみたいに、踊り続けていたみたいだと思いました。私の笑い声は届いていたのでしょうか。変わらず風化していく身体を知りながら、最後は、音と共に踊る事が出来ていたのでしょうか。歯車と木屑の山と、元の身体が同じものだったとしても、違うものだったとしても、もはや語りかけてくれるその人は居ません。
 絵を描く人の家へ向かいます。いつの間に出て来たのか、絵を描く人は家の戸に背をあずけて、息も絶え絶えと言った様子で、けれどしっかりと、大きな紙を抱えているのでした。
 私は手に持った食べ物の、食べやすそうで、力になりそうなのを順に選んで、慌てて絵を描く人の口元へと運びます。絵を描く人は、ずれた拍子で、食べ物を噛み、噛む力が再び溜まるのを待って、また噛みます。
 そうこうしていると、家から出て来ていたらしく、祈る人が、私のすぐ側で目を閉じ、祈っていました。私と、祈る人、二人で絵を描く人を気遣いながら、私はとうとう、この人の目の、開いたのを見た事が無いな、と思いました。いつも気づいた時には祈っていて、それは深く、私はいつも、笑いかけるばかりでした。それは、この島の仕組みのせいというよりは、私の迂闊さが招いている事態のように思えます。それとこれと、何が違うのかと言われたら、わかりません。ただ、私が強く欲しているから、そう思うのかもしれません。
 やおら、絵を描く人が立ち上がりじっとこちらを見つめました。そして、私と、祈る人を、順に指差すのです。そしてもう一度、おまえと、おまえ、そう言うようにゆっくりと指と視線を向けたあと、絵を描く人は、しっかりと抱えていた、大きな紙を私に差し出しました。
 紙に描かれていたのは、私と、祈る人でした。それは、いつかの、私が、祈りを返した日の絵です。祈る人の横で、私が手を合わせています。誰にも見られていないと思ってやった事だったのですが、見られていたようでした。
 絵の中で、私が目を閉じていました。そして、祈る人の目は開いていました。私が祈るのを、穏やかに、流れるものを全てゆっくりと流れさせるような、暖かい顔で見ているのでした。まるで、笑っているようにです。それは私の想像の通りに、とても、とても美しい表情でした。
 私が祈り、祈る人が笑っています。その絵を見た私の顔を、汗なのか、血なのか、涙なのか、また、熱い液体が流れていくのを感じます。震える手が紙を潰さないように、両手で掬うように持ちました。そんな私の様子を見て、絵を描く人が、すこし笑ったように見えました。それはまるで一方通行では無いものです。関わり合い、繋がるような世界が、この小さな空間に、ふと生まれたような気持ちがします。これほど胸を打ち、外側の身体のどこをも、震わせずにはいられない事を、忘れようが無いと思いました。
 雲が覆いきれない光を漏らし、明るさが増していきます。低いままの堤防の外、波の立たない海で、宝石の魚が水面を滑るように煌きます。あの水に夕刻、太陽が溶け入って、幾度となく繰り返したら、見せ掛けの海は乾いていくのかもしれません。時々大きな雨が水位を上げながら、島に当然の風化をもたらしながら、陸を増やし、少しずつ世界が広がるかもしれません。広がらずに、続いていくかもしれません。
 歯車の動く限り、それは動き続けていて、心音が続く限り、生き続けます。それでも静かな祈る人の世界を、水面のたゆたう光のように、雨の名残を、あっと言う間に乾かしていくように、満ちても欠けても、育まれていくものであるように、私には、祈る事も出来ます。笑う事も出来ます。祈る人と過ごす音の鳴らし方も、探していく事が出来ます。
 祈る人の手を取って、灯台の元へ向かいます。どれ程か、驚かれただろうと思います。けど、絶対に、何があっても忘れないと信じられる事を、震える瞬間を、いくつも増やしてしまいたくて、私は動きました。その手の熱も、握り返す感触も、もう二度と忘れる事など無いのです。
 カタ、カタタと、音は鳴っています。