にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

日記小説

 二〇〇八年四月五日・九千百二十三回目の真夜中
 どうもこうも無い、何時も通りとはいえ、書かねばならないから書く。しかも、今日という一日に頭に居座っていた考えごとと言ったら、他ならないこの「日記小説」の事ばかりだったのだ。九千百二十三回目を迎えて漸くのイントロダクションにどうやって読み手に説明を付けていいものかはわからない。ただ、一日考え続けてしまった以上ここに書かないという選択肢は既に無くて、もしそれをしないのなら、明日からの僕はもはやがらりと違った人物に「なって」いなくてはいけなくなる。連続して昨日の自分が今日に居る、という確かなものは世界で恐らく僕を含めて数人しか持っていないはずである。それを手放すにはあまりにも惜しい、これを、今更の説明の言い訳として、述べておくことにする。
 さて、九千百二十三回目を迎えたこれこそが、僕が付けている日記小説と呼ばれるものである。呼ばれるといっても、呼んでいるのは僕だけであって、そこは自分自身への「盛り上げ」みたいなものとして理解して頂きたい。
 僕はこの日記小説を、四千回とちょっとの頃から付け出した。十にもいかない頃からだ。それ以前については、学校の作文の宿題や、写真の日付、祖母祖父の話、様々な後聞きによって肉付けされている。一日を一章とし、その日に起こったり、起こらなかったり、感じたり、感じなかったりを書き記すのである。
 それは普通の日記とどう違うのか? という声が方々から聞こえてきそうなだけれど、僕にもこれだと強く言えるようなものは見当たらないかもしれない。真に人に迫った小説なら、日記にしか見えない一人称になることもあるだろうし、それ以前に、推論で世界を楽しもうとしている人間にとって、定義という言葉ほど鬱陶しいものは他にないからだ。
 ただ一つ言えるのは、僕は小説としてこの日記のような文を書こうとしている、という事だ。読まれても良い、という事かもしれない。けれど、僕は完成しない限り絶対に作品を目に入れたくないタイプだった。つまり、性質上、死ななければ完成しないけれど、死後、あるいは死の瞬間、死の余韻、そういったものを書けないこの日記小説は永遠に完成できないものであって、結局、誰に読ませる事も無い。こんなことを書いたら、日記小説が、いよいよただの日記に思えてきてしまっただろうか。
 では、こういうのはどうだろう。この長くて冗長な今日の冒頭文も、いずれくる日の、伏線になり得る、という目で見て貰えたら良い。もちろん、日記小説だから、そんな日は来ないかもしれない。いや、既に九千百二十三回を遡って丁寧に読み直したら、この意味の無さそうな文章が、何らかの伏線によって納得できる形でもたらされている可能性もある。つまり、日記小説とは、次に来ることの波に対して全く無責任に、いくつでも伏線を無駄に使い散らせる、自由、勝手、不毛な小説と捉えてもらっていいかもしれない。
 どんな事だって書かれうる。恋愛作品の様相を見せて、突然冒険を始めるかもしれない。聞き手にとって退屈な夢の話に終始するかもしれない。誰が見たってばらばらにしか見えないそれらが、たった一人の書き手にとってのみ、自分が経験して、自分が書いたという大きな背骨を持っているのだ。決められた終わりを得て、縮図として再編成し、組み換え、配置する小説でなく、実寸のまま、時系列順に沿って、成長を続ける小説である。それは絶え間なく、枝を無数に増やしながら、にょこにょこと伸び続けるのである。実体験の枝から養分を吸った夢が葉で、揺るがない自分というものが幹として、木が老成していくに従って見えていくのである。
 今日、これを書くことになった、それは、僕が今日一日この木――この際にょこにょこと名づけようと思う――について考えていたからだった。この永遠に完成しない作品を、完成させる方法とは、そして、それを読んで貰う相手とは、そういったことを、ぐるぐると、考え始めてしまったのである。
 完成させる方法については、妥協のようなものかもしれないが、考えが無いわけでもない。ただし、これは少々酷な現実を浮き彫りにするようでもある。というのも、誰もが、僕のように形にこそしていなくても、自分自身の日記小説を完成したいと思っているに違いないからだ。それでも欲を出して完成させるとするならば、僕は唯一可能な方法として、「合作」の形を取ら
 
 ***
 
 彼は突然筆を止めて、もしかしたらもしかしたら、としきりに繰り返し、日記小説のページを戻りはじめました。
「やはり、今日こんなことを書くなんてことは、不自然だと思ったんだ」
 ひどく焦った様子で、手を動かしながら言います。
「やっぱりだ! ここにあったぞ! やっぱりだ!」
 彼は心底嬉しそうな顔をしていました。けれど、涙も同時に落としていました。そして、わたしにこの日記小説を手渡すと、頼んだよ、と言ったきり、息を引き取りました。
 わたしはこの日記小説を、読むことも出来ます。このまま焼くことも出来ます。書き換えることも、永遠に仕舞っておくことも出来ます。そんなわたしの思いを知ってか知らずか、彼は幸せな夢を見ているようにしか見えませんでした。