にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

本当にうまく言えない人

 ある時僕が、朝のいい時間に起きられなかったうえ、夜の嫌な時間にまで起きていてしまったために、自分の将来がいっぺんで不安の塊になってしまったことがあった。僕が考えるに、朝は玄人の実業家の時間であり、夜は素人の芸術家の時間である。朝は何にせよ動機付けにうってつけなのだ。単純に前向きになりやすいこともあり、朝は早く起きる必要がある。夜は逆に何をしても自分と乖離する。きっと目をあけていてももう夢を見ているから。さっきまで前を向いていた色んな事がいっぺんにあべこべを見にかかる。それは止められないことだから、僕は夜はなるべく早く眠る。そのバランスが崩れた途端、僕はもう泣いてしまうくらい不安になってしまう。
 その時もそうだった。目標を定めても明日を夢みても、今が人生、とか、お金は道具、とか、便利な言葉をいっぱい覚えて何とか頑張ってたのに急に不安になって、夜中だというのに友人に助けてくれってメールを打った。
 何にも返事が無いまま三日が過ぎて、冷たい奴だなあと思っていたら、郵便ポストに手紙が入っていた。助けを求めた友人からだ。「うまく言えないけど……」で始まっている手紙は、次のようなことが書いてあった。

「うまく言えないけど、私にもね、あるなあ。本当、うまく言えないんだけど。学問が邪魔になる、と思えるほど勉強した事は無いけど、ちょっと今それ思い出したくないっつーの、っていう瞬間は多くある。中でも心理学。あれは受講すべきじゃなかった。
 たぶん小説だの書くときに助けにならないかしら、っていう安易な理由だったと思うんだけど。一方でとても書き易くなったけど、もう一方で頭抱えることになっちゃった気がする。私の大好きな小説家さん達はどうやって書いているのかしらねえ。行動主義心理学に則って、隙間無い因子で嘘の意思をつめた小説が果たして面白いのかなあ、とか? うまく言えないんだけど。面白いとしたら私は何を売るつもりでいるんだろう、とかね。
 この迷いを考えてみると、なるほど、知恵の実の話ってのはもっと形而下的に解釈できるもんだったんだって気づいた。そうなると、退治すべきはそそのかした蛇だよね。形而下的解釈によれば、蛇は誰かっていうと、なあんだ私か、っていう。
 退治する方法が私には一つだけあるんだよ。あの瞬間学問を楽しんでいたのだとしたら、小説を書いている瞬間、迷う瞬間もまた楽しめるはずだと考えることみたいな。
 何かを学んでも何かに迷った後も絶対絞りかすが出る。良い物であれ悪い物であれ、必ず出る。最終的にそういう絞りかすが何を作り上げるんだろう、っていうと、なあんだ私か、っていう。結局うまくは言えないんだけども」

 僕は自分から助けを求めておいて何だけども、なんじゃこりゃあ、と口に出して言ってしまった。加えてどうにか読解しなくちゃと思って徹夜してしまった。徹夜疲れで寝坊して、起きたら昼になっていた。やっぱり意味はさっぱりだった。ふと朝と夜のバランスを思い出して不安がちょっとだけ覗いたけど、すぐに消えた。カーテンを開けると眩しかったが、そんなものとは関係ない活力がどこかに宿っている気がした。何がそう思わせるかって? まあ、結局うまくは言えないんだけども。