にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

 夜昇る


 祖父は月に一度、頂いた写真や本の切り抜きをまとめて糊で貼り付け、アルバムのようなものをこしらえるのでした。その時も一月かけて溜まったあれこれを切ったり貼ったりして、そのまま一休みしていたのだと思います。畳に置いてあったそれらを、私はちょっと邪魔だからと一跨ぎしまして、それで大層怒られることになったのでした。
 祖父の言うには、写真とはいえお顔を跨ぐのはもってのほかであるのは勿論、魂を込めて切り出した文章もまた軽々しく足の下にしてはいけない、とのことでした。祖父はどちらかというと一人きりで本など読んでいる時間のほうがずっと多く、孫のことは私の父、母にまかせきりの人であったので、私も驚いてすぐに謝り行いを正したのでした。
 私は幼い頃から結果が気になるたちだったので、祖父に「跨いでしまうとどうなりますか」と聞きました。口答えするなとぶたれはしませんでしたが、祖父も困ったのだと思います。少し悩んだ挙句「狂っちまうよ」と答えました。大方、仏様のばちが当たるのだろう、と踏んでいた私はその言葉がかえって怖かったのを覚えています。他の何者かの手によってでなく、跨いでしまうと、自らの内側から何かが変わってしまうとすれば、幼くなくとも、今の私でもそれはとても怖いことに思えます。
 祖父は私が大学に入る前に亡くなりました。私の記憶する限り、後にも先にもあの一言だけが私への注意でした。
 あの後、たとえ新聞や収集車が落としたぼろの雑誌であっても一度も跨ぐことなく過ごしてきました。大学で物事の道理を学び、そういったことで我が身が危険になることは、今では恐れなくなっていましたが、足元に魂と思われるものがあれば途端に祖父の顔が思い出されてしまうのです。
 考えてみれば妙な話なのです。これほどまでに自身に染み付いていた祖父の言葉だというのに、私はその時になって、惜しげもなく新聞や自分の写真、読んだ本などを焼いてしまっているのです。
 というのも、私はその日大変嫌なことがあったためです。それはそれは説明するのも吐き気がするような、一分の隙も無いほど嫌ったらしい出来事でした。いっそ今すぐ命を絶ってしまおうとまで考えましたが、その前に何かしら焼いてしまおうと、何と無くそう考えました。祖父の言葉など片隅によぎりもしませんでした。
 いざそれらを燃やしてみると、薄明かりの夜に白い煙がくっきりと連なって昇りそれは綺麗なのです。私は思わず煙を手で煽り、身に染み込ませるように浴びました。もし祖父の言うことが本当だったのなら、それは数々の魂を穢れた我が身に当てる、不届な行いなのかもしれません。しかし一方の私は、それが大変に清々しく、重みを蓄えたからだが澄んでいって透明に近づくような、気持ちの良いものだったのです。私は満足のゆくまで煙を浴びると、火の消えぬうちに屋根に上がり、立ち上る煙をしばらく眺めたのでした。
 その後何事かあると私はものを燃やすようになりました。嫌気の差す出来事が起こるころには、丁度良いように燃やすものが溜まっている具合でした。その度に私は煙を手で集め、風のある時は風下に立ち、体いっぱいに浴びました。屋根に上がりぼんやりと眺めました。その前後、跨いだり踏んだりした事は一度もありませんでした。もう四年になる女房も、私の焼きぐせは知っていましたが、特別とがめるふうでもありませんでした。私はその頃から既に癌を患っていて、女房もあるいはそれを知って、放っておいてくれたのかもしれません。医者は「体を一切動かさず、とにかく良く眠ることだ」と言っていましたが、まるで聞かず生活していたら今日まで生きています。
「もし私が死んだ時は」
 私は確実に近づいているだろうその日に向けて妻に言いました。
「私が死んだ時は火葬にしてくれ。うんと遠くの町で。お前はすぐ帰ってこの家にいるんだよ。間違っても煙を浴びるような事の無いよう。その日の風がとても強くても、決して届かないところで私を焼いて、お前は家でじっとしていなさい」
 格別嫌なことがあったわけでもないのですが、私は気に入った本を読みたくなるまえに焼いてしまいながら言いました。妻は最期までお側にいさせてくださいよ、と言います。私は駄目だ、とすぐに言いました。
「どうしてなんです?」
 私は棒切れで本と薪の間に空気の穴をつくってやりながら答えました。
「狂っちまうよ」
 緩く風が吹いて火は順調に燃やすことを続けています。煙は捻れては伸びて、薄れそうでも消えることなくしっかりと夜空へ向かっていきます。ふと虫の声が聞きたくなって耳を澄ましても、火で木の爆ぜる音ばかり聞こえてきます。昇っても昇っても、煙の行く先には何も無く広くて、ただ無限です。

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