にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

 陽光リンゴ


 かつて村だった荒野にぽつんと一本リンゴの木が生えている。

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 その村に元来リンゴの木などは無かったから、恐らくは旅人が行きがけに捨てた食いカスが、時期、気候、土の状態なんかに非常に恵まれたもんで、うっかりそのまま成長したんだろうと思う。だから今現在、中央広場に一本だけ生えている大層立派なリンゴの木は村の誰のものでもなくて、たとえ実がなったとしても捥ぎって食う者は居なかった。
 初めはそんな平等心からリンゴは枝につきっきりだったが、時が経ち、どこかの子供がふと「何であのリンゴ、誰も食わないんだ」とでも思ったのかもしれない。面白半分に噂を流してみると、そいつがたちまち広まってまわり道して尾ひれがついて、転がって歪んでまた広まったらいつの間にやら広場のあれは呪いのリンゴを実らす悪魔の木だという事になっていた。なんでもあの実、一口含めば死ぬのはもちろんの事、たちの悪いことに、食ったら最後、村が滅びるってさ。焼き払おうか? だめだ、それも危険らしい――。
 木はもとっから手を付けられずに長らく放って置かれていたから、根拠の無い噂ではあったけど皆それをすんなり信じ、以前に増して木に近づこうと思うものは居なくなった。
 実際のところその木、これといった特異な点などなく、いたって普通のリンゴの木ではあったけど、よくよく見てみると樹皮の色が淀んでるだの、枝葉を映す影が悪魔に見えなくもないだの、たちどころに悪魔たる所以がつくられていった。
 一人ほくそ笑んでいたのは噂を流した少年だった。彼一人この木が全くの無害であることを知っていたので、誰も来ない広場で悠々とリンゴを独り占めすることが出来た。幾度となく「木の中に住む悪魔を見た」という村人が現れていたけれど、何の事はなく、それらは全てリンゴを食べようと木登りをする少年の姿を見間違えただけなのだった。
 なんにせよ、あの木は妙な事が起こる、と村人たちの疑いはますます深くなっていった。最初はでっちあげの噂なんか信じちゃって、馬鹿らしい、と思っていた少年だったが、何度か足を運んでいるうちに、どうやら本当にこの木、妙だぞ、と思い始めた。というのも、もいだリンゴどれをとっても、一つの虫食いもないのだ。当然のように何の手入れもされていない木である。加えて、何度か鳥やらがやってきたが、どの動物も一口さえ食わずに去っていくのだった。そんな様子を見た直後はさすがの少年もリンゴにやる手がちょっとだけ躊躇した。けれども、やっぱり健康そのものな自分の体を一番に信じることにした。何一つおかしいこと何か無い。自分の美味しいと感じるものが鳥たちに美味しいと感じるとは限らないし、第一、自分は豚のエサなんて臭くて近寄れないものな。いやいや、俺が流した噂があんまりありそうな話なんで、動物達もこぞって信じてるのかもしれない。結局少年は、そうやって理由をつけて納得してはリンゴを食べた。それでも、減った気がしないくらい、リンゴはまだまだたくさんあった。
 その日も少年はリンゴの木の上に居た。家に近所のおじさんがやってきて、おかあさんが「あの子ったら、素行も悪いし寝相も悪いし、一日のうちどっか一つくらい、可愛い瞬間があってほしいもんだわ」と言って二人で大笑いした。それが堪らなく嫌で飛び出してきた。特に行く所もないので、やっぱりここに来てしまったのだった。昼食を食べたばかりだったが、リンゴを食べた。少々早い時期になるこのリンゴはちょっと酸っぱいのだけれど、美味しかった。少年はすっかり満腹になり、木の上だというのについ眠ってしまった。そして、たぶん夢を見た。

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「僕が美味しいのはわかってくれた?」
 辺りを見回しても誰も居ない。ならばやっぱり木が喋っているのだろうと思う。返事もできないでいると、木は続けた。
「鳥たちには遠慮してもらってる」
 なぜ他の動物たちはリンゴを食べにこないんだ、と聞いたわけではなかったが、リンゴはそれを察したようにそう言った。だからなぜ。
「もうすぐわかる」
 リンゴの事を悪く言って嫌われ者にしてしまった原因は自分だから、怒ってるだろうなあ、と思ったが、彼は無表情らしく、そういった気持ちは読み取れなかった。喋るとなれば話は別、というわけでなくて、何となくいたたまれなくなった少年は一言謝ろうと思ったが、それより先にリンゴが、
「欲を張って言うわけじゃないけど、みんな僕のことを嫌わないほうがいい」
 と言った。
「そうしないと……」
 そうしないと、どうなるんだろう? と思った瞬間、少年は急に不安な気持ちに包まれた。突如吹き上げた風に全身がなでられた。あらゆる物体が天に落ちていく……!

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 落ちる! と思った所で目を開いた。どうやら木の上で眠ってしまったようだ、と気づいてぞっとした。だいぶ高い所までのぼっていたから、落ちたら怪我じゃあ済まなかったかも知れない。恐る恐る下を見やると、地面は意外にも近い。さっき居た場所はもっとずっと高かったはずだから、どうやら本当に自分は落ちたのだ、とわかった。ということは、今ちょうど腕と足とを引っ掛けるように支えてくれているこの枝が自分を大惨事から救ったのだろう。少年はたった今みた夢を思い出した。木は、とても優しそうな声をしていた気がする。
 近くなっていた地面に飛んで降りると、少年は木を見上げ、ありがとう、ごめんなさい、とだけ言って家に帰った。家に帰ると客は6人に増えていた。そして皆それぞれ、深刻な面持ちをしていた。

***

 天気を見る限り、まあ例年通り取れるだろう、というあてがすっかり外れたということだった。村の主産物であるサツマイモのことだ。サツマイモはとても強いので、年毎の植付け場所さえ誤らなければ然したる心配もなく冬を過ごせるくらいの量は取れた。ところが、今年は掘り起こしても掘り起こしても膨らんだ根っこは出てこないので、村人たちはこうやって深刻な顔をせざるを得なかった。
 そして貧しい季節がやってきた。蓄えはやっぱり極端に少なく、皆僅かな量を噛み締めるように食べたが、その冬の間中お腹が膨れることは一度も無かった。
 そんな中少年は、広場のリンゴの木が雪に埋もれながら未だ実をつけているのを見つけた。一口食べると旬さながらに甘くて、少年はみるみるうちに元気になった。これは、と思い、少年は自ら流した噂も忘れてそのことを村中にふれまわった。誰もが喜ぶに違いないと思ったが、どこへ行っても、怒鳴られたり、泣かれたり、ときには「もう終わりだ!」と発狂せんばかりに頭を抱えられるばかりで、村人はとうとうリンゴを食べようとしなかった。それどころか、リンゴを食べたお前のせいでこんなことになったのだと責められるほどだった。
 少年はあの噂が自分が勝手に作って流した嘘であり、本当のこの木は優しく、美味しいのだと何度も説明した。しかしどれほど少年が熱心になろうと、それは悪魔に魅入られた証と蔑まれるばかりで、信じる村人は一人も現れなかった。
 結局、村の人々は苦しい冬を苦しいまま耐え、春が来た。村人たちは今年こそはと願いを込めて苗を植えた。晩夏、リンゴの木はまたたっぷりと実をつけていたが、村人たちの表情は沈んでいた。サツマイモは絶望的だった。貧しい季節はこの年もやってきてしまったのだ。
 この年も、少年は懸命に村人を説得しようとした。このリンゴは夏に陽光を蓄えることができるので冬もずっと腐らず食べられること、その力を失わないために、鳥たちにも食べるのを遠慮してもらっていること、かつての旅人が自分を地面に投げ捨て、それがここまで大きくなったのだから、どうやら自分は成長力の強いリンゴであること、それゆえ、植えてくれるのならきっと育ってみせるという、強い決意。少年はリンゴの木から聞いたことを全て話して聞かせた。それでも村人は頑なにそれを拒んだ。リンゴは悪魔の汚名を返上できないまま、また季節が過ぎていった。その後何十年と、この土地でサツマイモが取れることはなかった。

***

 かつて村だった荒野にぽつんと一本リンゴの木が生えている。土が病んだのか、雑草も生えるのが難しそうな地で、その一本だけがたくましく日を浴びている。
 そこから太陽のほうへ歩いていくと、やっぱり同じようにリンゴがある。さらに先、さらに先にも、まるで旅人の歴史のようにリンゴが遠く連なり、ようやく果てかと思われる地に、一つの村があった。そこには楽園のような日が差し込み、あちこちに植えられた木の赤い実が、時折その光を反射させては輝いていた。その村の豊かなことはたっぷりと収穫されているサツマイモだけでなく人々の表情からも見て取れ、その笑顔に連鎖するように、観光の者も楽しそうにしていた。その一人が、村の青年をつかまえて言う。
「冬にも枯れないなんて、まるで祝福された天使のリンゴですね」
 青年は笑いながら答えた。
「さあ。美味しいからそれで充分」