にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

 どこかにいるネズミさんへ


 水辺にネズミの耳があり、それが幾度となく物語を思い出している。

***

 群れの中、そのライオンだけが痩せ細っていた。狩りがうまくいかない日が続き、食えぬまま体力が衰え、もともと得意でない狩りがなお一層難しくなっていった。やがてそのライオンは群れにもついていけなくなった。他の仲間はそれぞれに自分の食料を捕まえていたが、狩れないライオンは生きていてもしょうがないと長は言い、彼を助けるものは居なかった。動くことすらままならなくなってきたそのライオンは、ようやく見つけた水辺に座り込み、水を舐めながら死を待っていた。
 そんな彼のもとに、ある時一匹のネズミがやってきた。ネズミは水を飲みに来たようだった。最初、彼を見て大層驚いた様子だったが、どうにも動く気配の無い猛獣に安堵すると、痩せた体を気遣うように話しかけてきた。
「最近のシマウマは速いかい?」
 ライオンは片目だけ開けてネズミを見て答えた。
「たぶん、僕がめっぽう遅い」
 ネズミは水を飲みながら、そうか、そうか、とか、ライオンも大変だ、とかひとしきり言ったあと、ちょこんと彼の隣に座った。
「最初に言っておくと、俺は食べてもマズイよ」
「うん」
「あとね、背中にでっかいイボがあるだろ、そこがものすごく不味い。やめといたほうがいい」
「うん」
 それを聞いてネズミはいよいよ全ての警戒をとき、だらんと足を伸ばした。いくら疲れ果てたライオンでも、今ならすぐに捉えて食べられそうな距離にネズミは居たが、ライオンは何となくそれをためらった。一族の間では無能者として冷たくされていたので、こんなにも気さくに話しかけてもらうのが新鮮で嬉しいことだった。
「何か得意なことはある?」
 聞かれてライオンは考えたが、諦めて「ない」と言った。
「好きなことは?」
「お話を考えるのが好きだ」
 これはすぐに答えることが出来た。実際ライオンは狩りの途中であっても、面白い何かが思い浮かぶと足を止めてしまうことがあるくらい、お話を考えるのが大好きだった。ついさっきだってネズミが来る前まではずっと、頭の中で物語をあれこれいじっていた所だった。
「狩りが苦手で、お話考えるのが好きかあ」
 ネズミはふむふむと声に出して頷いた。
「それは、ライオンに生まれたのが不幸だったねえ」
 彼はだまって聞いていたが、何に生まれれば空想好きの性格がうまく機能するのかは思いつかなかった。するとネズミは聞いた事のない生き物の名前を言った。
「兄チャンはヒトに生まれたらよかったかもしれないね」
「ヒト?」
「そうヒト。ヒトは何してもいいんだよ」
「ヒトはお話を考えるとおなかがいっぱいに?」
「そうじゃないんだけども。ヒトはお話を考えてもいいんだよ。しかもそんな事しながらも、他の動物いっぱい食べるんだよ」
 ネズミは、そのヒトになりたいような、憎々しいような、複雑な顔をして言った。ライオンはそれを聞いてもヒトというものがどんな生き物なのか全く想像がつかなかったが、ただ、
「動物を食べるのは苦手だな」
とだけ言った。
 それを聞いたネズミは一瞬目をぱっちり開いて驚いたが、
「兄チャンが狩りが苦手な理由がわかったよ」
 とさらに体を近づけて嬉しそうに言って、
「本当に、ライオンに生まれたのが不幸だったねえ」
 と付け加えた。その後も色々と取り留めの無い話をして、日も暮れてネズミは帰っていった。ライオンは行く場所もなく、水辺で同じ格好のまま眠った。また死を待つだけの毎日が始まるのだと思ったが、その予想は少しだけ違った。その日から、ライオンのもとには必ずネズミが話をしにきた。そして挨拶がわりにいつもこうたずねてきた。
「やあ。面白い物語はできたかい?」

***

 張り合いが出てきたライオンはそれからというもの一生懸命にお話を考えた。ストーリーが進んでは、毎日くるネズミに続きを話してきかせた。寝食忘れるまでもなく、ライオンは食にありつけなかったし、お腹が鳴るのがうるさくて眠れなかった。物語は佳境に入ったが、ライオンはどんどんやつれていった。それでもライオンはネズミを食べようとしなかった。
 何日か後、いつものようにネズミがやってきて、「面白い物語はできたかい?」と聞くのだった。ライオンはごめん、と呟くのが精一杯だった。昨日、いよいよ終わりに向けて盛り上がったストーリーを纏めようとおもったのだが、彼にもとうとう限界が来ていたのだった。頭を使うために肉をすり減らしたみたいに、今やライオンの体は皮しかないみたいに見えた。ライオンは、自分がもうすぐ死ぬであろうこと、それゆえ、物語は完成しないであろうことをネズミに伝えた。毎日とても楽しみにして聞いてくれていたので、残念がってしまうだろうと思ったが、ネズミはただ慌てるばかりだった。なんとしてもお話を完成させて欲しい、それを聞かないなんて生き地獄もいいところだ、ネズミはとにかくライオンを説得しようと必死だったが、一方の彼は今にも永遠に眠ってしまいそうだった。
 その時、急にネズミがライオンの口元に寝転がった。何事かと思ってみているとネズミは言った。
「俺を食べておくれ!」
 ライオンは驚いてそんなことできるわけがない、と言ったが、ネズミはどうも真剣だった。
「兄チャンが空腹でお話が終わらないってんなら、お腹を膨れさせるしかないだろ。だから俺を食べておくれ。その代わり、耳だけは残しといてくれよ。それで、ちゃんと最後まで聞かせてくれ」
 ネズミは目をぎゅっとつむり歯を食いしばっていたが、ライオンは少しだって動くことが出来ずにいた。やめてくれ、食べるなんてとんでもない、何度も言ったがネズミは譲らず、やっとのことで説得したときにはもう日が暮れる所だった。
「食わないで、何が出来るつもりなんだ!」
 ネズミはライオンを怒鳴って、何か探してくる、と言って去って行った。さすがに呆れ果ててもう戻っては来ないだろう、とも思ったが、まだ物語の結末を諦めないでくれているようにも聞こえて、ライオンは最後の気力を振り絞って目を閉じないように踏ん張って、話の続きを考えた。

***

 また朝日が昇り、その日最初にやってきたのはネズミではなく仲間のライオンだった。よく見るとその仲間は一匹のネズミを咥えていた。一目で彼のたった一人の友達の、あのネズミである事がわかった。ライオンは思い切り泣いた。水ばかり飲んでいたので、涙には不自由しなかった。彼は仲間に、その背中にイボのついたネズミがいかに美味しくないかを告げ、そのたび心の中でネズミに謝りながら、なんとか納得させてネズミを引き取った。
 ライオンはその後もしばらく泣いていたが、やがて決意してネズミをゆっくり丁寧に食べると、今度こそ最後の力を振り絞って、目の前の、残った耳に向かって物語を話し始めた。

***

 ――僕が、君と会ってからの日々がどんなに幸福だったか、どうやって伝えたものだか、実はすごく困っている。というのも、今までずっと、僕は一人で、自分のためにお話を考えてきた。でもあれからというもの、僕はどうしても君に喜んで貰える物語を作りたくてしょうがなくなってしまった。例えば君が生きていて、もっともっとお話を聞きたいと言ってくれれば、僕はいくらでもお話を作る事ができる。残念ながら、僕と、僕の仲間が君を食べてしまったから、それは出来なくなってしまった。食わないで、何が出来るつもりなんだと怒られた事は忘れないよ。だから聞いて欲しい。君と、ここで死に行く僕の体がやがてこの地の土に染み込んで隣り合う木になったら、雨に流れて、遠い海の小さな命になったら、巡りめぐって、君のいうヒトになることが出来たら、何万回昼と夜を繰り返してでも、必ず新しい物語を君に話して聞かせることを約束する。生きている君に、ありがとうの気持ちを込めて。
 また会おう――最後にその言葉を仕舞いこんで、耳は静かに新しく来た夜を迎えた。