にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

 空色予報


 青、黒、赤、黄の四種類の空があって、どの空の色の時に行動するかは各人の自由となっている。
 青空の時を主にして生活する人は友人が増えやすく、黒い空で生活する人は金銭が舞い込む。赤い空に生きる人は体に力が宿るし、黄色い空の下では感性が磨がれ芸術関連がとにかく上手く行く。どれもまんべんなく経験しようとする人は英雄になれる可能性もあるが、まず早死にする。なりたい性格や成長したい方向がある人はどうぞ好きに選べば良い。すべては空の組み合わせ、その割合のみで、意思によって覆せない遺伝は今のところ発見されていないのだから。
 空の正しい色を見る眼鏡が出来てからは、手帳を持ち歩いて色予報を書き込むのはもう常識だった。誰だってなりたい自分がある者は、まず空の色を伺わなければならないからだ。もちろんそれを良しとしない人たちもいた。人生設計だけで大変だってのに、人間設計まで抱え込むなんて冗談じゃない、というわけだ。僕もどちらかというとそういった人間の一人である。だって死ぬまで空からの光線を浴び続けるなら、一体いつ落ち着ける日が来るっていうんだ?
 長生きで、賢くて、裕福で……そういった「究極の配色」を求める声はやまない。生まれるというのは要するにそれを発見するチャンスを一度だけ与えられたのだと。自分で無くとも、せめて我が一族に、我が組織にと、閉じ込めたり、放り出したりしながら皆必死なのである。
 もしかしたらその究極の配色なんてものはとっくに出来上がってるんじゃないかと僕は思う。ただあんまりにも色の具合が厳密で繊細で完成されているので、なったら最後、もう自らを封じ込めるしかないのではないかと思う。出来上がった人から口を閉じずには居られなくなるのだ。そしてそれは「仕組み」だからしょうがない事なのだ。
 雲が立ち込めて空の見えない日、極端に人の少ない街を歩きながら、もし僕が手帳にきちんと記録していたなら何色が一番多いのだろうと考えた。色と性格がちぐはぐに、すっかりでたらめに出来上がっていたらどんなに愉快だろう。みんなはっとするだろう。今まで分母のゼロが数え切れない途方も無い確率で、たまたま空の色と人となりに関連性があるように見えただけだったら。それを僕自身が証明していたらどんなに愉快だろうか。
 何色でも良い空の下を歩いた。地面に足をつけているのは自分色の自分だと思えば不安や焦りも無い。雲間から少々の光が漏れている。眼鏡をつけていないので色は見えない。今日六度目の赤信号で足止めを食らう。六度もだ。何かの兆しだろうか? だったら、こんなに馬鹿馬鹿しい事はない。