にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

バスルーム

 写真の中に居るのは俺だ。なぜ俺がバスルームの中に居て、しかもその瞬間が写真に撮られたのか(そして第一誰が撮ったのか?)はわからないが、確かに俺なのだ。水も張られていない風呂に俺はなぜ入っているのか。呆けた面で何処を見ているのか。ありったけの疑問を俺に投げつけながら、その写真は毎日ドアにこっそりと挟んであった。
 挟まれた写真はいつも同じでは無かった。ある時は目一杯アップで撮られ、ある時は見下ろすような構図で撮られている。風呂場を洗ってない時は写真の風呂場にも汚れが目立って見えた。だから、この写真は日を改めて何度も撮られ、最新のものが挟まれているのだ。
 最も奇妙なのは“俺にこの場面を作った覚えがない”という事だ。何度も言うが、写真の中に居るのは確かに俺だし、この風呂場はうちのだ。間違いない。しかし、学校へ行き、バイトへ行き、その間一度だって意識を失ったりはせず、時に風呂にさえ入らない時も、この写真は挟まれた。
 そもそもこんな撮影をするチャンスは誰にも無い。こんな事があってから俺はしっかり施錠するようになった。理由もわからない。俺が風呂で呆けた写真を俺自身で確認することが誰の得になるのか全く見当もつかない。
 残る可能性は何だ。俺が夢遊病で、夜な夜な一人むっくりと起きては風呂場に行きカメラのタイマーをセットし、風呂場で呆けた面をしてバッチリ撮影を済ませた後にドアに挟んでぐっすり眠ればあるいは可能か? 馬鹿らしい。第一そうやって写真を撮ったとして、俺はいつ現像するのだ? 
 結局具体的なものは何もわからないままドアには写真が挟まれ続けた。何も害の無いものと割り切れば生活に支障を来すこともなかったが、ある時ようやく俺は変化に気づいた。
 写真の風呂にうっすらと水が張られている――。

 その日から朝目覚めると自分のズボンが濡れているようになった。ドアに挟まれた写真を見ると、一日前よりも水かさの増した風呂が写っている。次の日、また次の日と写真の中の風呂は水位を増し、その度に朝俺の衣服の濡れている部分が上へ上へと昇ってきた。
 やはりこの写真は事実を写している! 今や胸元まで水に浸かった俺の写真を握りしめながらそう考えた。明日には肩に届くかもしれない。ではその次は? このまま水かさが増して俺の口と鼻を塞ぐのだとすれば、時間がない。
 その日、寝る前に自分へと向けたビデオカメラのスイッチを入れた。このシーンが現実にあるとすればそれは俺が寝ている間しか無い。その現場を抑える事が出来れば、この窒息を免れるかもしれない。気休めにもならなかったが、俺は写真を燃やして眠りについた。
 真夜中、むせかえって目が覚めた。俺の口から下がぐっしょりと濡れていて、俺はいよいよ水が来る所まで来たのだとわかった。このまま解決しなければ次に眠る時は永久に眠る時だろう。
 俺は祈る気持ちでビデオを再生した。
 俺は一度もベットを出ていなかった。むせて目覚める数分前から、ちょろちょろと水のしたたる音が録音されていた。玄関へ急ぎ、ドアに挟まった写真を見た。やはり口元まで上がった水位と、殴り書きされた文字が目に付いた。
「きょう から は いちみり ずつ ゆっくり と いこう」