にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

嘘と青のノア

 ノアの箱船はちょっとだけ遅かった。雲が地に落ち、溢れた水が緑と灰色を等しく流し埋め尽くす中、光の手がすくい上げたのは、種族も分類も適当、特に人間はひどくて、一切を信じない占い師、寝食忘れがちなダンサー、部屋から一度も出たことがない翻訳者、三つ子の赤ん坊、狼に育てられた少女、などなど全員が完全な世間知らずで、世の中を知っているふうな生き物は僕だけだった。問題は、僕もまた、極めて嘘つきな爺さんに育てられ、口伝でしか外を知らないという事だ。
 占い師は遠い未来、人類は再び反映するさまを見た。文明は断絶だ。伝えられる技術は多くない。だが、歴史はかろうじて伝える事ができそうだとわかった。むしろ、伝える事が、箱船に生き残った者の役割であるはずだ。そして他の人間がすべて世界について無知である以上、「歴史家」として船に乗った自分こそが、その役割を担わなくてはいけない。注意深く、真実のみを書き記さなくてはいけない。知りもしない先の事を語る嘘の歴史家は「ノストラ騙す」と呼びひどく糾弾されたものだ、と爺さんがよく話していた。
 まずは明らかにしようと誰かが言った。なぜ滅びたか。ホロビチッチ不連続面のためだと僕は答える。船の舵を取っているのは誰か。鍛冶屋だろう、と僕は答える。いつ、戻れるのか。イッツショータイム、つまり、小時間で戻れるだろうと僕は答える。祖父に叩き込まれた知識をフルに動員する。誰も反応出来ないようだった。知らない事は、恥ではない。無知の知、つまりムチウチの身内こそ恥だという風潮こそ、恥ずべきなのだ。
 お互いの干渉はそれきりで、あとは各々が事実を受け止めたり、現実から逃げたりする事にたっぷりと時間を使っていたように思える。進展と言うべき事もなにもない。僕はそれを書き記す。記す事をする。つまりシースルーである。
 長い沈黙を破ったのは誰かのお腹が鳴った時だ。大音腹鳴。おおおとのはらなりという戦国時代の名将を思い出す。もちろん会ったことは無い。祖父はあるらしかった。当時の飛行機は地球の自転と逆向きに飛ぶ事が許されており、みんな自由に過去に行けたという。
 話が逸れたが、大音腹鳴にして静寂破れる、だ。
 きっかけ、全員が気づいてしまった。飯はどうするんだ。
 メシヤを探せ! 高い場所へ船を漕ぐ。漕げば操れると発見したのは大きい。みんなで樽をばらして、たわんだ木の板で空をかく。水が無くても浮かべるからこの船は優れている。水が届いていない場所が狙い目だ。船頭多くして船山に登る。そこにはまだ、腐っていない食べ物の貯蔵庫があるかもしれない。クサランプールが、あるかもしれない。
 果たして食べ物のありそうな看板が見えた。「やすまず営業中」とある。「やすくてマズいけど、でも頑張って営業中」の略だと皆に説明する。一同は得心した様子であった。マズくても今は食べられれば良いから、構わず船をつけた。
 ダンサーとはそこで別れた。ここでは蛇口を捻ればいくらでも水が出たのだ。もともと「おひねり」で暮らしていたと言っていたから、ちょうど良かったのだろう。船に戻りたくなったらどうする? 水位が上がったらどうする? 心配していたのは狼に育てられた少女たちだ。あらまあ、こりゃまあ、と昔から心配性だったとみえ、確かに、アマラとカマラと名付けられていた。
 蛇口があるのだから、別れに涙は蛇足だと、伝える。さよならは堂々と、王のように。それが船で行く者、バイキングのさだめだ。 
 その後も、占い師は売る物を得て漆になったり、三つ子が百の魂にまで昇華するなどあったが、ここでは割愛する。離ればなれになっても、絆は、愛は決して消えない。割愛はきっとそういう意味だ。
 そして、旅は、書を記す僕と、それを訳す彼女だけのものになった。
 もはや漕ぎ手は四つだけだ。僕たちの四つの手だけだ。だから、たわんだ樽の切れ端はもう握らなかった。波が無くても、在っても、越えてゆける。時折頬を伝ったとしても、それも波だ。
 ダンサーを思い出す。そうしながら僕らは好きに踊る。ゆっくりする。舞ったりする。
 狼の少女を思い出す。占い師の事も。二人は仲が良かった。ウルフりをして占い。月に吠えると未来が見える気がした。
 赤ん坊を思い出す。バーブーと愛らしい声はよく響いた。何度も響いた。その残響が今も耳にある。リバーブだ。魂は百になっても染みて残り響き続ける。
 シースルー中の僕に、ヤクスルー中の彼女が寄り添う。記す書は厚みを帯びて、増え続けて、僕らの手にはいよいよ重くなっていく。船はいつか図書館のようになった。沈む時はブックブックと言うだろう。いくつか、書いていない歴史もある。二人だけの歴史は、秘すと利だから、明かさない。
 遠く遠く先に、本があることを願った。それも、うんと、たくさんあることを。きっと嘘ばかり書かれている。知らないを、初めてを、なんとか生きたからだ。けれど、あなたにとってだけは、本当のように思えたら良い。たとえ沈んでも、この空のように、言葉が、意図せず、青ければ良い。
 船は向かっている。どこかへ、ゆっくりと。だが確実に。青が覆った、かつて楽園だった場所を揺蕩っている。
 

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できそこないのオーロラ

 オーロラ職人が眠るのは昼の間で、夕方には暖を取る方法をなるべくたくさん用意して、楽器を担いで空へのぼってく。足をばたばたさせないで高くたどり着くには目が必要だ。足のつく空とすっぽぬける空があり、慎重に見分けて、けれど鼻歌は堪えて高度を上げる。海の底から音を持ち帰る時と同じで、急いではいけない。あんまり焦っては、破裂してしまうから、確実にだ。稀に深紅のオーロラが出来て有り難がられる事があるけれど、あれは失敗作だ。音不足、速度超過、瞬きを覆うには頼りなく、透けた星の筋は鈍く、よその銀河が見たらくすくす笑うに決まっている。そういう夜空に不似合いなやつを何度も作っていると、職人の立場というのも危うくなるものだ。
 とある地域で白夜があけた。目をつけたのはナザミという新米の職人だった。その年は、慌ててのぼろうとした足場を踏み外して、尻餅をついて、ついでに身につけたあらゆる音の出るものから不格好を鳴らした。幸い、星しか見ていなかったと思われ、後でほっと胸をなで下ろしたのだけれど、なんとか拵えたカーテンの評判がどうも良くなかった。色の段組みが粗く、湖面への映り込みもぼやけている。棒で叩いても冴えた音色を出すでもない、と散々で、唯一褒められたのは飲んでも腹を痛めそうにない、というやつだけだった。
 今年こそはと万端に構えた日は具合がよくなかった。太陽が風邪を引いたと言う噂で、空気にこんなにも迷いがあっては振るうタクトもしなるだろう。運ぶ楽器も選ばなくてはいけないだろう。熟練の者なら、待つか、あるいは全く別の――例えば氷の粒で空を煌めかせるなどして、やはり美しく寒空を彩るはずだ。けれど、ナザミに出来る事はそれでも作ろうと空へ向かう事だけだった。今を諦めても、後があるとは考えなかった。生まれて一度も、同じ空を見たことが無かったからだ。
 階段をのぼりはじめると、やはり笑う声はあった。わかっていないと、無謀だと、耳に届く。ナザミはそれらの言葉を真剣に耳に入れたうえで、やはり歩き続けた。何も、無茶でやろうというのではないし、何より、うまくカーテンが組み上がらなかったとして、その時、痛かったり、残念なのは、自分であるはずだ。正しい事と、足を止める理由と、関係が見つけられなかった。動く理由はいつもわからない。止める理由はいつも、止めようとする者が消してくれる。
 準備は出来た。心音を覆うように、懐かしい歌や、くすぐられるような記憶を貼り付けて、温かく保つ。まぶたの裏をしっかりと見る。次に空気が目に触れると同時に、足のつく空と、すっぽぬける空が、居場所を教えてくれるはずだ。急がない。目をあける。
 足を踏み出す。大きく夜気を吸い込むと、目尻に少しだけ水を感じた。その水が遙か遙か上から吹く、二億年前の瞬きのように微かな風を伝えてくれると、自分の体が霧や何かと同じように外と紛れながら、一音、鳴った。持っていた楽器の、どれを鳴らしただろうか。また、鳴らしたのは誰だっただろうか。叩いて、かいて、吹いた音が、星々の手が一斉にそうしたように、たちまち連なって響き出す。どの音もその音も。一瞬で吸い込んでいく黒があるけれど、負けずに作り出される粒となって、次々と、けれど確実に。透明から、うっすらと青を湛えて、緑をくみ上げ、色づいていく。たわませて巡る。見えないから見えるへの境目で、月がようこそと言った。水が真似をして逆さまに映す。空の果てと湖の底を覆う。瞬きを透かして、銀の城が眠っている。それはそれは見事なオーロラだった。
 後に、達人と呼ばれた職人の作品には、できそこないがいくつも在った。巧妙な大気で隠したわけでもない。それでも、地上の者はそれを見なかった。けれど、ナザミは寂しくは思わずに済んでいる。瞬きはいつだって過去だ。あの不格好な光を、遠い星、よその銀河が、くすくす笑ってくれるだろう。

緊急時のてびき

 空気が薄くなると体が透けるのだっけ? 落ちる飛行機の中でようやく冷静に死を受け入れつつあったのに、自分の手のひらごしに機内パンフレットの「緊急時のてびき」という字が見えるのだからぎょっとする。
 そんなわけないじゃんと笑う妻も点滅していた。当たり前だけれど金属探知機にひっかかった靴も、息で吹き入れて膨らんだベストも服も透けていないし点滅していない。自分の肌と、妻の肌だけがちょっと妙な具合に、存在があやふやになっている。そういうきみも点滅してるぞと教えてやった。ほんとだ。物販カートが放り出され取り放題になっている菓子類を頬張りながら妻が言うが、足をばたばたして一瞥しただけだった。

 幽霊だったら透けているという話を聞く。だからこうなるのは普通、死につつある時分じゃなく死んだ後だろう。普通とは何だ。頭をひねると、骨の鳴る音がした。骨。そういえば血液や内臓や骨も透明になっているという事か。血が噴き出しても絵にならないとすればゾンビ映画にはもう出られない。
 あと五分もすれば飛行機は海でなく大陸に影を落とす事になる。その影が膨らんで地面とくっつく前に自分たちが脱出するのはもう不可能に思えた。親切な事に、進路は変えられないうえ、海へつっこむ事も難しいという機長の声は客席に繰り返し届いていた。今なお壊れた操縦桿やら何やらをいじくり回し生還の道を模索しているのだろうが、誰一人笑顔を見せないキャビンアテンダントの様子からそれが徒労に終始している事は見て取れた。
「往復切符を買って良かったでしょ」
 なぜか得意げに妻が言う。生きているうちに海外旅行に行ってみたい、と言い出したのは彼女だった。曇天の空港で、私は生粋の雨女だが雲の上ならば決して降られる事はない、どうだ格言めいた事を言ったぞ、と胸を張っていたのを思い出す。言ったのもつかの間、これから生涯を終えて雲の上の住人になろうとはさすがに予想していなかった。

 今更かも知れないが人生はこれからだ。結婚して、仕事も悪くない方向を維持出来ている。子供も授かるかもしれないし、親孝行や家族サービスの計画は五万とあるのに、矢先に飛行機が落ちて、しかも透明になるなんて。
 犯人はもう死んでいる。ハイジャックは、血圧に不安がある人間が高い標高でやっていい事ではなかったのだ。暴れ周り、脅し回し、コクピットの重要そうな何らかの装置を破壊しつくしたた挙げ句、発作で息を止めた。
 制服を着た背の高いお姉さんが遠慮がちに言った。
「いちおう、お医者様はいらっしゃいますか」
 飛行機が落ちるとわかったのはその後だ。透明になったのは更にその後という事になる。機内が騒がしかったので明確な境界は思い出せない。犯人の持っていた拳銃は自殺を求める人の手に順に渡り、必ず当たるロシアンルーレットとして五人を殺して床に捨てられた。その後は泣く声とお経と祈る声とが絶えず聞こえてくるが比較的落ち着いた。一人、搭乗用のハッチをスマホで延々と叩いている者がいて、そのリズムが、早くなる自分の心音を確かめるよい指標になった。
 どうやら自分は、やはり死ぬのは怖いようだ。恐怖は、自身に起こる多少の不思議では拭えないもので、透明や、点滅はそれを何者かが教える為に、いや、自分自身が確かめるために起こる儀式なのだと言う気さえした。より薄くなった自分の体と、より間隔の長い点滅になった妻の体は、しかしまだ触れあう事ができた。手を握ると握り返す力がある。なに、とこちらに顔を向けたのは消えたタイミングだったのだろう。再度点灯した時まだ妻は怪訝な顔をして、そして目を凝らすよう眉を動かす。表情から自分が、だいぶ見えにくくなっているのだなとわかる。
 響く音は一切が一定。着々と大きくなる風とエンジンの音が、泣き声を消し、話し声を消し、間に壁をこしらえるように人を分断していく。
 来世を信じているか、それとも夢と信じているのか、と聞いた。同じように死に瀕した時に、今と同じように、手を握りながら。いや、それさえも気のせいで、初めてする問いかもしれない。
「ただ信じているのよ」
 往復切符を買って良かったでしょ、と彼女は言った。行き先が天国なら尚更だ。
 誰かが歌い出す。巨大な空との摩擦に対抗するように。窓の外が赤く映る。白へ変わり、光を増していく。やがて雲を追い越しはじめると、体が少し浮いた。手を握る相手はもう見えない。消灯だろうか。次に点灯する時を待つ時間はあるだろうか。
 指輪が宙に浮いている。お互いの薬指だ。天使の頭についているものに似ていた。

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フクロウおじさんの本当の姿

 羽角公園のすぐ近く、ツツジの中から顔を出したような背の低い街灯の続く先、元気橋の根本にはフクロウおじさんが住んでいて、夜中に子供を攫っては、シチューの具にしているそうだ。
 誰が言い出したか、この地区の小学生には有名な話だった。僕はその「からくり」がなんとなく、わかっているつもりでいたのだ。つまり、フクロウおじさんなんていない、作り物だってことを。ただその時、話して賛同してくれる者なんて、誰一人いなかった。
 森南小学校はY県市内にあり、県内ではどちらかと言うと都会と呼ばれる地域にある学校だ。とはいえ「県内では」という所がミソで、全国でも田舎として名高いここいらで少しくらい栄えているなんていっても、たかが知れている。山を背中に、川の音を聞きながら授業をする点は、県内のどの学校とも同じだろう。
 もちろん、「みんながみんな噂好き」なことだって一緒だ。子供も、母親たちも、噂の仕入れを忘れた事は一度もない。公園で集まる時は決まって、新鮮な噂を交換しては眉をひそめ合っていた。
 僕はどちらかというと、その噂ってやつに興味のない人間のひとりだ。それどころか、ばかみたいだ、とさえ思っていた。だって友達の友達の兄さんが大学受験に落ちたとか、誰彼のママのママがテレビに出たとか、それがどうして「人生の役にたつ」っていうんだ。
 担任のヨオコ先生だっていつも言っている。
「どうせやるなら、人の役に立つことをしなさい」
 暇だと思われて舐められることには慣れているけれど、僕たち小学生はいつだって今と未来に「人生の役に立つ」を求められている。習い事だってそのためで、噂話にうつつを抜かしている暇なんてちっともありはしないのだ。だから、例え誰かが輪をつくって楽しそうに話していたとしても、僕はすすんでそこに入っていったりしなかった。そして、だからこそ、膨れ上がる前の、根っこにある「かんたんな真実」が見えていると信じていた。
 学区の西端に住む子供たちが森南小へと向かうならば、龍山川をどうしても渡らなくてはいけない。この近辺で向こう岸に行くためには、たったひとつの元気橋と呼ばれる橋を渡る必要があった。つまり、西側の学区に住むほとんどの子供はこの橋を、毎日行き来する。まず第一にこの橋のすぐ側にフクロウおじさんの家はあった。
 どういう理屈か知らないけれど、駅前の街灯と違って、この橋にある街灯は夜の八時になると明かりが「消える」のだった。光のセンサーではなく、タイマーで動作させていた所、内部時計がズレてしまったと、お父さんが持論を展開するのを聞いた事がある。お父さんは学校での話をほとんど聞いてくれないくせに、こういうどうでもいい事はよく話してくる。
 子供にとって、八時を過ぎた、真っ暗な橋を渡るのは恐怖だ。親だってそんな危険な場所を渡らせたくは無いはず。結果、子供が、遅くまで遊ばないよう、間違っても八時過ぎに橋を渡る事などないよう、注意を促すつもりで、「大人たちが」フクロウおじさんという架空の怖い人をでっちあげたのだ。子供にそんな事を話せば、途端に広まる事は決まり切っていた。
 フクロウがどこから来たか? それは本当に簡単な理由で、フクロウおじさんの家の前には表札のかわりに、木で掘られたフクロウのレリーフが飾られているからだ。丸い目が片方だけくり抜かれ、体は後ろ向きで首をぐるりと回してこっちを見ている具合で、確かに異様な感じがする。眉なのか輪郭なのか、顔はハート型で、そのせいで目の穴も見ようによっては心臓を穿っているようだった。
 実物のフクロウおじさんを見た人は、誰もいない。けれども聞くところによると、この元気橋が真っ暗な時間に誘拐事件が起きたのだという。犯人は未だに捕まっていなくて、子供も見つかっていない。犯行が行われた日の情報は何も無かったが、普段ひとけの無いフクロウおじさんの家から、それはそれは美味しそうなシチューの匂いがしたそうだ。
 ある時、梅雨明けすぐの頃だ。
 先生たちの会議があるため一斉下校が約束された落ち着かない日の朝礼で、校長が言った。
「今日は早く学校が終わりますが、決して寄り道などしないように。悪い事をすると、フクロウおじさんが出ますよ」
 瞬間の静けさのあと、体育館がざわめく。誰もがハッとして、蒸した空気と蝉の声に改めて気づいたに違いなかった。ヨオコ先生が騒がしくなった声をなだめようとするけれど、クラスに彼女の言う事を聞く生徒は少ない。
 それは僕たちにとって驚きの事実だったのだ。先生たちの中でも一番偉い校長が言ったということ。何か「公式」に発表された心持ちがして、クラスの皆が持つフクロウおじさん像が、みるみるうちに形を成した。
 それだけなら良かったのだけれど、まったく、子供の好奇心を甘く見たとしかいいようがない。クラスの男子の一部が、フクロウおじさんの家に真実を確かめに、そしてあわよくば退治しようと言い出したのだ。もともと家に早く帰れると気持ちが浮ついていたところに、とどめのようにあの校長の言葉だ。普段なら止めておこうよ、と言い出す者もなんとなく気になってしまったのかもしれない、帰りの会でくれぐれも、と言った先生の言葉を無視し、その計画は当日のうちに実行されることになった。
 興味がなかった、と言ったら嘘だ。ただ、僕はフクロウおじさんそのものが作られた架空の存在だと信じて疑っていなかった。そしてちょっとだけ、怖かったというのもある。たまたま参加しなかった僕だけが生き延びた。シチューになったのかは知らない。でも、その日を境に僕のクラスメイトから半分の男子が居なくなった。涙が止まらなかったのは生まれて初めてだった。
 テレビで取り上げない日がなくなって、「こと」が大きくなりすぎたのかもしれない。危険だった薄暗い橋の街灯は修理され、いつも警察や町内会の当番、先生方が交代で見守るようになり、そして何より、フクロウのレリーフのあの家の住人がインタビューされる様子がニュースで流れるのを見ると、世間とは真逆に、僕たちの興味は急速に薄れていった。
 頭の中では完璧だったとびきり格好良い合体ロボが、いざ絵に描いたり粘土で作ったりしてみると全然強そうにできないことがある。それと同じで、フクロウおじさんは皆の頭の中に居た時だけ完璧だったのだろう。その時点で犯人はまだ捕まっていなかったけれど、想像が明るみに出て、実体をなして、もともと居なかった理想のフクロウおじさんが死んだのだ。
 事件は少しだけ続いたのちに、完全に解決した。行方不明の子供たちは、フクロウのレリーフのように心臓を突かれて皆死んでいた。見回りを掻い潜っての誘拐は考えにくいとして、内部の犯行を疑った警察が最終的には突き止めた形だ。
 僕はとうとう、お礼を言い損ねてしまった。何せ、クラスの男子が勇ましいほうから順に半分死んだのだ。いじめられなくなっただけではなく、静かで、授業も集中出来て、いいことづくめだ。泣くほど嬉しかった事は間違いない。
 夏の終わりに、担任の先生が替わった。その人から、二度と何かを教わる機会が無いと思うと寂しい。ヨオコ先生がホームルームで仰った言葉は忘れない。
 ――どうせやるなら、人の役に立つことをしなさい。
 今、僕はフクロウおじさんの存在を信じている。
 彼女は刑務所にいて、居もしない理想の教え子に、元気で授業をやっている。

止まる心臓の話

 心臓がもうすぐ止まる事がわかって目が覚めた。
 痛みではなかったと思う。体の中央から指先にかけて、不穏な脈打ちが始まった。夏だったはずだが、目の周りが妙に冷えていて肌寒い。いつまでも黒いので、目を開けていると気がつくのに時間を要す。暗闇に慣れるより早く、赤く明るい丸が視界に現れた。一度目を閉じて、その丸が消えるのを待つ。
 確信する。間もなく自分は死ぬ。動悸が一定でなく感じる。血が巡り方を忘れ好き勝手に衝突しているようだ。知識ではなく本能的な部分で感じる。今の状態が長引くなら呼吸は続けられないだろう。
 音は聞こえているだろうか。ごうごうと耳奥に震えがあるように思う。冷蔵庫の中にいるように、噴き出した汗が急速に冷えていく。虫の声がようやく聞こえ始めた。吸う動作と、吐く動作を確かめ、手足のわずかな痺れを感じながらも、握った布団が音を立てないように押しのける。
 小さな寝息のとても安らかなのを妨げないように静かに身を起こす。もうひとつの呼吸の先を見つめて、考えた。答えが出たとは思わない。けれど、暗闇のまま寝室を出た。
 残された時間は、もうわずかだろうと思われた。もう二度と、私が太陽を見る事は無いだろう。
 遺書くらいは書けるはずだ。パソコンの中に蓄えた私の生きた証というべきものを整理することも出来るだろう。残される事になる、妻への手紙も書く必要がある。愛の話と、しなくてはいけない言い訳や、しておきたい言い訳は多くあった。
 遺言はすぐに書き終えられそうだった。子も、両親も居ない。私が遺したい相手は妻しかいない。まずは文書として効力を持つよう雛形を調べ、書く。調べながら、十秒程度寝てしまったように意識が途切れる事があった。その度にまた目が覚めた事に安堵しながら、どうにかこしらえた。ビニール袋から水が漏れるような音が胸の間から聞こえてくる。気の所為なのかもわからない。耳自体が脈打って煩いからだ。視界を幾度も横切る虫は、全て自分の幻覚だろう。
 次にパソコンを開き「書斎」と名付けたフォルダを開いた。気取った名前だと思うが、これだけが自分に残った矜持だった。様々なソフトと、書き上げたもの、書き上げられなかったもの、物語が数百並んでいる。
 書き上げられなかったものは消去した。例えば自分が死んだ後、そんなものが残っていたとして価値を感じないと思った。価値を感じる自分が居ない時の事を心配するのも妙な感覚だ。
 書き上げたものの中で、未発表のものは、散々悩んだ挙句、三編残して消去した。消す、そのキーをひとつ押すだけだったが、ひどく疲れた。死は近づいたかもしれない。ただ、必要な労力だったと思う。しばらく深呼吸をして落ち着こうとする。結局落ち着くまでの時間が惜しくなり、動悸は放って置いて手を動かした。
 物心がついてから、何千万回とキーボードを叩いて作った文字の並びの大半を、瓦解させた。その名残はもうなく、取り戻すこともできない。紙で残したものはひとつもない。今日まで、私が生み出したといえる、唯一のものたちだった。何も、消さなくても、と自分の一面が問いかける。ただ、死に瀕してより頑固になった自我が、きっぱりとそれを跳ね除けた。
 彼は言う。より胸を張るため、より多くに別れを言わなくてはいけなかったのだと。
 いつもと変わらないはずの本棚も今はよく背表紙の文字まで目に入ってくる。時計の文字盤のかすれたような汚れや、二回に一回秒針の音が違う事も初めて気がついた。集中は一層困難になっていくのに、目に入ったり、耳に入ったりする情報はやけに多く感じる。命が失われつつあるいま、ある限りの経験をしようと体が勝手にもがいているみたいだった。
 ペンと紙を取り出す。足音を消して寝室に戻る。妻が起きる事は望まなかった。あまりにも自分勝手で、我儘は話だ。それを、上手に伝えられるだろうか。
 手紙の書き出しは悩まなかった。二人で決めた、死後会うための合言葉で前置きをした。
 他には。順番もなにもない、思いつくものを先に。時間がいつまであるかわからない。
 こんなタイミングでさよならを言う事になって残念だという事。
 向こう、50年は一緒にいるつもりだった事。
 その頃には若返りの薬も出来ていて、君が飽きるまで、そんな風にいっては悪いか。でも、いつまでも、百年、千年愛すのだと思った。
 死んだ後のことを君に伝える手段は、おそらくまだ無いのだろうね。
 私が死んだ事で、悲しんでくれる事と思う。また、悲しませてしまったか。
 たくさんの人を頼って欲しい。それと、誰かもし優くて気の合う人がいたら、その人にも、頼って。
 私は最初にほんの少しだけ嫉妬して、その後、たくさん安堵すると思う。
 そのためにはここで長々と何か言うよりも、さわやかに去ればいいんだけど、そうすると、怒るでしょう。
 いつも私は君を気遣うふりして、自分の気の弱さを押しつけていたから、もっとこうしたかった、という瞬間ばかり思い出しています。
 今になって尚、本当に勝手でごめん。
 私は今、私のことを君が思い出してくれる事を想像して幸せを感じ、私のことを忘れて幸せになった君を想像して安らかになっている。
 きっとこれから君の心をかき乱す死人になる事が、本当につらいけれど、どうかしっかりと生きて、気が向いたら、思い出すなり、忘れてしまうなり、進んでくれたらと思います。大丈夫、合言葉は、絶対に忘れない。
 これから自分は、怖い顔になってしまうかもしれないし、これも甚だわがままであるけれど、どうしても、君を起こせなかった。
 少し字が読みにくくなってきた。大丈夫、この調子だと、最後まで、苦しくなさそうだ。
 じつは、寝顔をみながらしねればと、いつもおもっていた。
 まいにち見ていたけしきのまま、ねむる君のよこで、おなじように、しずかに。
 きみは、なでるとわらうんだよ、ねむりがあさいのかな。
 ほんとうにねがう。きみ
 しあわせに。
 ありがとう
 たいおん

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ポカリ戦争と二つの命


 ポカリ戦争で僕は一度死んでいる。
 それでも今生きているのは奇跡的に生還したからでも何でもない。命が二つあって、一つを失ったら、一つ残ったというだけに過ぎない。
 あの時僕は、たった二つの命を、一つ無駄にしたのだ。

***

 何にしろ生意気だったには違いない。幼かったとはいえ、結局僕は一度も、祖父の「戦争話」を真剣に聞いた事などありはしなかった。戦争を知らぬ子はこれだから、と言われては、戦争を教えたい大人はこれだから、と心の中で言い返していた。
 あらゆる拍子に飛び出す「戦争の頃は」という枕詞は、もはや恐怖だった。それに続く言葉はとても長く、しばらくの身動きも制限されるし、僕が幸せで恵まれている事を強く非難されてしまう。
 楽しくて浮かれていれば戦争の時には出来なかった事だと言い聞かされ、痛くて泣いていれば戦争の時はその程度では済まなかったと言い聞かされる。酒を呑みながら延々と繰り返されては、本人の言うように「僕の為を思って言ってくれているのだから」と耐えるのも難しかった。
 そうやって聞かされ続けた話の内容を、実は今ほとんど覚えていない。節制し忍耐しろ、騒ぐな喚くな何倍にも薄めた感情で生きろ。そんな所だろうか。祖父は僕が幼いうちに死んだ。彼が生意気な孫に残そうとした言葉たちは、残酷にもこの世に曖昧な記憶としてしか残らなかった。
 自分が年をとったせいなのか、反省でもしたのか、今となってはそれがとても残念な事であるとわかる。「つつましく目立たぬよう、常に最悪の不幸を想像して生きよ」としか聞こえなかった言葉たちが、本当はどんな形をしていたのか。
 もちろん、ただ僕の為を思ってした話というわけでは無かったろう。祖父は人間で、自分の功績や、過去の苦労を、教訓のあるなしを問わずただ愚痴りたいことだってあったろう。それら全てを受け止めた上で聞けば良かったのだ。祖父が生きた「戦争」という場所と時代の話を。
 僕は戦争を知らない子供だから、それを語る事は出来ない。だから、実際に体験した、ポカリ戦争の事を書く。これは祖父が経験し得なかった、僕だけが経験した戦争という場所であり、また、たった一瞬だったけれども、時代である。


***

 ポカリ戦争は恐ろしく間の抜けた自殺から始まる。
 八歳で、きっと夏だった。雲がひとつも無くて、あっという間に喉が渇く季節だったはずだ。
 祖父が心臓を患って死んでから間もなかったはずだったが、三日悲しんだ後に僕は元気にやっていた。
 同級生の間では、サッカーをする者たち、メンコ遊びをする者たちや縄跳びをする者たちといったグループが形成されていて、僕は鬼ごっこをする友だちと組み、毎日の昼休みを謳歌していた。戦争が始まったのはそんな、いつものように友達と遊んでいた時だった。
 音は鳴っていただろうか。いつもみるジャンボジェット機とは形が違うから、聞きなれない大きな音を立てていたかもしれない。でも、僕が覚えているのは映像だけだ。
 五、六機も連なったジェット機が低く飛んでいた。視界に現われた時は、対称で綺麗に並んでいた。僕らの頭上をじっくりと舞い、ばらけては、集まる。そしてある時急に平行に飛び始め、時々飛行機雲をわざと吐き出した。
 何かとんでもない事が始まるのだと震えた。飛行機の軌跡に時々白く雲が残り、空に字を書いた。この位置からだと良く見えない。でも、英語のようだった。
 僕は話半分にしか聞いていなかった祖父の話を思い出した。戦争には、「宣戦布告」というものがあるということ。それと、空襲の話だ。僕が知っているのと違う飛行機が飛んできて、爆弾を落とす。だから、この飛行機と雲の字の意味は簡単だ。始まったんだ――そう思った。
 僕の行動は迅速だった。鬼ごっこの、まさに鬼をやっていた時だったかもしれない。不思議と、友だちは空への興味を早々に断ち切っていて、頭上に釘付けの僕にはやく追いかける作業に戻るよう囃し立てる。囃し立てていたと思う。聞こえちゃいなかった。空はもう、こんなに戦争を示しているのだ。
 読めもしない文字に震え、これから降る爆弾と、恵まれすぎた僕への罰の如くはじまる、死よりも恐ろしい苦しみを思った。
 誰の声も聞かず、校庭で一番高いジャングルジムを、天辺へ向かってよじ登る。どうしたんだと、鬼のはずの僕が追いかけられる。登りきって空を見た。いよいよ文字は連なって、完成の様子を見せている。絶望が広がっていた。青い空が美しくも何とも無い。足元から友達の非難するような声が聞こえるが、僕は空しか見ていない。睨んでいたら、青は灰色と区別がつかなくなった。だから、僕はためらう事無くそこから飛び降りて、頭を打って死んだ。

***

 打ち所が良かったと言えばいいのだろうか。長い長い意識不明と入院期間の末、僕の目は青色に戻った空を見る事が出来た。
 信じられない事に、世界では、戦争が始まっていない事になっていた。あの時、確かに宣戦布告しようと飛行機が舞い、今まさに校庭に爆弾を落とそうとしていたのに。
 世界がどうなって、なぜ今誰もが生きていられるのか理解できない僕は、両親に泣きつかれながら、呆けていた。
 戦争は確かに起こったのだ。祖父の言う本当の恐怖を体験したのだ。今、回りが燃えかすじゃないのは、爆弾は落ちなかったか、偽者だったのだ。でも、それでも恐怖が偽者だという事にはならない。
 あの恐怖は真実だ。それは実際の戦争が起こった場合のものと何ら変わりは無い。だから、真実を体験した時、僕は逃げもせず、隠れもせず、声を上げも、当然立ち向かいもせず、ただ高い所から飛び降りて死のうとしたという事になる。
 それは認める事の出来ない弱虫だった。救いがたい卑劣だった。だから僕は自分のことを、やっと目の覚めた重症患者などと考えはしなかった。僕は――いやあいつはもう死んだのだと。

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 数日後、テレビで清涼飲料水のCMが流れた。さわやかな青い空に飛行機が連なり、尾のような雲を吐き出しては止めながら「POCARI SWEAT」と字を書いた。それを見て、へなへなと座り込むしかなかった。自分の中の何かが崩れた。以前より澄んだ景色の中心に、自らの弱虫と卑劣さだけが残っているのがわかった。

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 退院後も学校は休み続け、もはや友達と同じ学年に居られないほど勉強が遅れた僕は、しばらく家庭教師を雇って勉強する事になった。街角の電柱の貼紙を見て母が電話をかけた。やって来た人は僕より十も上のお姉さんだった。
 コロコロと表情を変える、良く喋るそのお姉さんが、ある時言った。テレビには例のCMが流れている。
「このCMを撮影している所を偶然見てね、空に、たくさんの飛行機が飛んでいたんだ。私は戦争だと思って、絶望した。その時は大学生ってもののやり方がよくわからなくて、すごく貧乏だったんだよ。身も心もと言ったら良いのかしら。いつでも簡単に絶望できる環境だった。そして、容易に絶望できるという事は、容易に死にに行けるって事だった。どれほど大切に思われていても繋がれていても未練があっても関係ない。あなたは、私が一度死んだと言ったら信じる? 生まれた時、わたしは無力で、柔らかくて、空気は重くて、人の手は硬くて、お金も一円も持ってなかった。でも泣いていればちやほやされたはず。今、いくらかお金を得て、力を得て、身体はしっかり出来たし、人と喋ったら楽しい。でも泣いてるだけ、笑ってるだけじゃあ何をやってもうまくいかない。気持ちを何倍にも薄めて、つつましく目立たぬよう、常に最悪の不幸を想像して生きようとしちゃう。おじいちゃんやおばあちゃんに、戦争の話を聞いた事があるでしょう。わたしとあなたは戦争を知らない子供。でも、あなたは自分の世界で、擦り切れて、痛い思いをして、喜んで、笑って泣いて、戦ってるでしょう? 私はあなたの戦争の話を聞くわ。だから私の戦争の話も聞いて。そしてお互い、約束しましょう。決して退屈そうには聞かないと」

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 大抵の人は、物心がつくまでに一つの命は失っている。
 けれど、何かを理解したい時、二つの命が必要な事がある。
 分け合うか、譲り受けるかもわからない。命は二つなくてはいけない。求めたいから、僕は奪わずに済む戦争の話をしなくてはいけない。