にょこにょこ

嘘を書いた雑巾を配るページ

鬱の王国 -Preview-

 夏の断末魔みたいな暑さだった。赤みが掛かった日差しは砂臭く、どんな条件で手を打ったのか、あれほど鳴いた蝉もいつの間にか黙っていた。
 人の気配を求めて歩いていたはずが、雲ばかり数えてしまう。
 絶望的だろう――ここは特に。

 マスクを取ると、風がある事に気づく。匂いは相変わらずだ。砂、埃、油。必要無いなら、吸い込まずに済ませたいものたち。何度かの地震で傾いた電柱は、地上近くに街頭を持ち運び、滅びた街を下から照らし出す。空への救難信号のように、ビルの陰から粘り強く光っている。

 それを見つけたわけでは無いだろうが、頭上遥か遠くに円盤があった。あの未確認飛行物体は犯人では無いとされている。あくまでこれは人災で、宇宙人災ではない、とキャスターは言う。

 その昔、UFOは馬車だった。自動車が発明されると、それは車の形を取った。飛行の技術が確立されてからは、浮き得ると見えそうなあらゆるフォルムで空に現れ、人の想像力と共に成長してきた。その進化は止まってしまったのだろうか。それとも、本来の姿に、我々の目がやっと追いついたのだろうか。アダムスキー氏は、今日もよく知るアダムスキー氏のまま我々を見下ろしている。

 いくつかコンタクトの案はある。敵対するものではない、とは、ミステリーサークルを解読したと言い張る者の言葉だった。敵ならばもう攻撃しているはずだ、という事実を根拠とする考えもあるが、果たしてどうだろう、と彼女は思う。多くの人にとって何故か納得できているらしい「今の惨事は宇宙人によるものではない」という前提が、どうしても腑に落ちない者も現に居るのだ。

 上を睨みつけた彼女の目には太陽が焼き付き、赤の丸がどこを見てもしつこく追いかけてきた。その動きはまるでかつて見た円盤のそれだったものだから、ふと思う。
 今もなお、人は想像力と共に成長する幻影を、瞼の裏に映る太陽の名残を追い続けているだけなんじゃないか?
 答えてくれる有識者は、科学者は、医者は、友達は、今世界にどれほど生きているのだろう。間違いないのは、生きていたとして、その者もまた「死にたい」と思いながら地表で息をしているという事だ。

***

 いかにして摂取したかはもはや重要では無い。とにかく、その毒は物質的にも性格的にも、神経伝達物質と非常に似た構造をしていた。反応は神経細胞から出でた途端、シナプス間のわずかな隙間で瞬間に始まり、終わる。たちの悪い事にだ。実際その瞬間の変容は研究をより困難なものにしていた。それらがドパミン神経末端の受容体にたどり着く頃には、致死に充分な形状となっていたが、原因も、対策も、出来ないまま人類は随分と減った。
 テロでも、病気でも、同じだ。このまま人口が零に向かうとして、誰が止められるだろう? 勿論、誰もが止めたいと願うだろう。しかし、毒によって変わったこの世界において、種の全体を考える余力――敢えて余力と表現するならば――そいつを持っているヒトが残っているとは思えなかった。そう、自分も含めてだ。
 未知の毒により、セロトニン受容体の阻害を予め投薬によって行っていた人間だけが生き残った。そのような薬を日常的に用いている患者だけが。
 地球は、うつ病患者だけが生き残った。

***

  よくやってくれているとは思うが、生放送は止める方針だ。ニュースを読むキャスターの声色が、悲壮感が、伝わりすぎる。自殺を目の当たりにする機会は確かに減っていたが、それは人間の、症状の悪い者の総数が更に減っているからであって、明るい知らせにはなり得なかった。
 お茶の間のテレビに健康的な話題を届ける事はきっと出来るだろう。たとえば嘘でも良いわけだ。これまでのように、道化をやれば良い。批判を覚悟で、愚かと言われるのを覚悟で、見え透いた道化を演じる事で、嘘から真実が出てくるように気持ちが上向く事がある。安っぽいと言われながらも作り続けた意義、放送作家の意地は、実はここにある。
 今はただ時間が欲しい。最初の願いは確か、そんなふうだった。人が癒える時間があれば。衝撃的な情報は不要だ。そう思っていた。空に浮いているあの物体も、その加減がわかって、ああしているのだと、機を見て、全てを被ってくれるのだと。勝手な期待、甘えだ。

 ニュースを集める人も、それを許可する人も、映す人も、読み上げる人だって、全て悲観的に傾いて考えずには居られないのだ。今にも呼吸が止まりそうな青ざめた顔になる前に、静かに静かに事を進めて、傷つく事を互いに慎重に予測して、半歩ずつにじり寄らなくては何か一つ完成させる事も難しい。きっかけも無いまま、人は人と固まらない。

「誰か居るか?」
 基本的に朝、気分が比較的優れていた時だけ、出勤したい者だけがスタジオへ直接来るような具合になっている。いつの間にかなっていた。人に会いたい欲求を好きなタイミングで満たせるという意味では、ここは幸運な場所だった。しかし、今日は特に気配が無い。簡易的なニュースをやろうと思ったが今日は厳しいかと思って仮眠室へ向かうと、揺れた。
 地震ではない。落下の音。この建物の屋上にもオブジェクトがあるが、まさかあれは落ちないだろう。いや、もっと大きなものが遠くで落ちたような響き。たとえば飛行機や、隕石といったような……まさか。
 滅亡がゆっくりと始まった日、生きる事に一度は悲観した者たちが溢れた。状況を覆すでもなく、いつまで経っても、不器用な者たちを、何とか団結させられないかと考えるようになった。
 いつしか丁度良いとさえ思ったUFOの存在は、しかし浮いているだけで何もしてこなくて、大層がっかりしたものだ。
 攻めて来い。ほどよく。都合の良い事を考えた。
 ある種の悪は、台頭して来ない事には排除できない。この悪とは円盤に潜む何者かであり、我々の孤独と寂しさであった。
「君のように、無意識に息が出来る事は、技術なんだよ」
 と妻が言ったのは、事が起こる前だった。その場で笑って、寝室に戻った。お互いに交換した言葉に、必要な音楽が乗っていないかのような感覚。口の端から出た傍から落ちていく意味たち。
 何かが見えるに違いないと思い、妻の薬を飲んだ。
 何も見えなかった。
 頭と手足の先、時折痺れるような感覚と共に、猛烈な眠気がやってきた。
 次に目を開いた時もだ。
 何も見えなかった。

 家の中。なぜか、生き残ったのは、自分だけだった。

可能性の自殺

 すれ違った少女が咳き込んでうずくまった。声をかけるべきか迷っていると、こちらに気づき、逃げるように走り去っていった。口元を押さえ、これ以上、この近辺の空気を吸い込むまいとするように。苦しいだろうに、遠くまで、どうやらそのままで。
 一人になってみると、道はそこに在るべき人を失ったようにもの寂しい雰囲気に変わっている。赤く服を纏っていたと思う。赤くあろうという意思の見える上下。水平に切り揃えられた髪。気にかかる少女だった。この世のすべてを恨むかのような目だと思ったが、私と目が合っていたのだ。恨んでいるとすれば私かもしれない。今は夏と思い出す。背中が少し寒い。
 抗鬱剤を飲む。ひどく眠くなるやつだ。そして自分の目頭を強く押し、備えた。あらゆる音を聞かないようにする。頭上の冷たい芯を心臓まで落とすような、呼吸の動かし方。いくつかコツがあるが、うまく言葉にするのは難しい。これをやると、微睡みの上澄みでだけ、聞きたい言葉が聞けるようになる事を最近知った。医者にも、誰にも話していない。電柱にもたれ掛かるとすぐにその時は来たので、問いかける。
「先ほどの少女は何者か?」
 声は、少しも面白くない本を朗読させられている子供のように、息も勿体ないという様子で伝えてくる。
「明日燃えるはずのものが、既に灰に見える娘だ」
 不思議に思えたのは一瞬で、すぐに理解できた。
 私は明日燃えて、灰になるのだ。それゆえ、舞った粒の煙たくて、少女は咳き込んだのだ。いくらか、「生」とはほど遠い印象のある娘であったし、これほど、腑に落ちる事はない。いっそ、気分は優れたように思えた。
 押し止める必要はないだろう。明日燃える準備をすれば良い。
 未練は無いわけではない。言葉を、選び伝えるべき人も多い。ただ、自分の価値がわからなくなった時、「そうなれば」と願った事が、言い訳のできない罪だった。ほんの少しであれ、死に祈り、自ら死を呼び寄せたのだ。
 大きな意思があって私を裁いたのだとしても、静かに積み重ねた行く末の導かれた運命だとしても、あらゆる人の目や考えから、独立させて孤立させて、何もないところから湧き出た突き詰めて純粋な偶然だとしても、起こった事は等価だ。
 だから、可能性の自殺を求めた。
 私はただ結果を、それが終わってしまう前に、死の直前までに、見たかったのだ。
 生前、なにひとつ残せなかった事を、耐え、見守ってくれた人へ少しだけ返したかった事もある。私が事故死と判定されれば、保険屋はそういった人々に少なくない金額を支払ってくれるはずだ。
 まだ誰も居ない家へ帰ると、吹き抜けの天井に釣られたシーリングファンの電源を三年ぶりに入れた。軋む音は以前より大きくなっている。電球は切れかけて、点いては、消える。消えながら回り、点きながら回る。外の風が強くなり、家が少し揺れる。軋む音もそれに倣う。ぐらつきながら、一定の速度を目指しながらもおぼつかない有様で。支えを失って落ちてくるならば、高さも重さも、私の頭を潰すに充分だろうと思えた。これならば、目覚める前に、事が終わり、私はきちんと燃える事ができる。
 止まりかけては回る。その真下に寝転がって、眺めていた。いくらか時間が経った。窓の外が先に消灯する。羽を時々照らしながら明滅する天井は花火のようだ。眠りが足音を消してやってくる。夢のような景色を見はじめて、そこには自分以外の人がいた。表情が見えそうで見えなくて、でも皆、こっちを見ているような気がして、皆、皆、そんな人数、思い当たる人が居ただろうか、居たのだろう、知らないものばかり見る夢はない、そもそも、夢を見ている間は、生きているのだろうか、わからない、少しだけ夜風の匂いと、軋む音、軋む音が重なり、金属がぶつかり、回る、家の中、回る羽根、花火、静かな足音、窓の外の夜空に、白いまる、雲に隠れて、黒に紛れていく、人の声、思い出す声、同じ声、目の熱い、水、水が床を叩いて、大きな音、床の冷たさ、熱、自分のもの、誰かのもの、遠い声、いつか聞いた声、眠気、消灯。最後に、少しだけ生きたくなった。

***

 血の味が口の中の抗鬱剤を溶かした。ひどく眠くなるやつだ。そして自分の目頭を強く押し、備えた。あらゆる音を聞かないようにする。頭上の冷たい芯を心臓まで落とすような、呼吸の動かし方。いくつかコツがあるが、うまく言葉にするのは難しい。これをやると、微睡みの上澄みでだけ、聞きたい言葉が聞けるようになる。
「私はこのまま眠って、目覚めないのか?」
 夢から醒める方法は知っている。けれど、それが出来るのは夢を見ている時だけだ。
 いかにもつまらないという声色で、子供の声が耳に届く。
「眠りと死とを毎夜絶えず選び続けて今まで来たのだろう」
 不思議に思えたのは一瞬で、すぐに理解できた。眠る前も、後も、どちらだって夢に出来る気がする。
「また選べばよい」
 いくつかの顔が浮かぶ。おそらく、こちらを見ている。表情までは見えない。目を細めてみる事は止めた。舞う灰のせいでは無い事を見せつけるように、見開き、手を伸ばし、不確定を退け、選択をした。赤い少女と、退屈そうな少年に別れを言った。

人の消え方

 以下は、ある長く更新されないブログに、ふと浮き出た文字だ。
 よく見かける、王様の耳の秘密を溜めかねて、書き散らした青い一文のようではあった。それでも僅かな、非常に僅かな人間の目に止まったのは、その文字の並びの問題ではなく、記事の末尾にぶら下がっているひとつの返信コメントの為だろう。
 更新日時の表示はあるが、本当にその日を境に記事が生まれたのかは定かではない。気がつけばあった。もしくは、無かった。
 明滅するように生き死にするのではないかという雰囲気が、その文字の連なりにはあった。明日にはすべて消えていたとしても驚かないし、ふと、息を吹き返しても、きっと受け入れてもらえるはずだ。
 儀式のように、更新を一度かける。
 今は――どうやらまだ読めるようだ。

***

 体から、ものを考えているどこかの部分が空気に溶け出して、飛んでいく。私の意思はそこにくっついたままで、血だったり、その温度だったりしたものは、段々と感じ得なくなる。自分の内と外を区切る唯一の証拠だった感触・・・・・・それらはすべて空想になった。
 死がこうならば、誰もわざわざ生きたりしていないだろう、と思いかけて、改めた。塊でない事は自由に行き来を許してくる。それがどうしようもない考えであっても。
 そう、どうしようもない考えだ。私が発生してから、物心が反応して中身が見つかり、人や、空気や、摩擦や、重力が、必死で「ある」と認めさせようとした個体。
 それでも結局、私は、私自身をあると認められず、消える事を選んだ。
 どうしても、人は私を侮らずには居られないのだ。そんな事はないという人が証をくれるわけもなく、思慮の上、思い遣りの結果だと私に伝えようとしてくれた言葉――あの、口から勢いよく、遠慮もなく出てくるほうの――が建前でなかったのを、ただの一度も見つけられなかったのだ。
 だから、一人になった。自分には、一人で生きているふりをして皆で生きる事も、皆で生きているふりをして一人で生きる事もできなかった。避けたでも、逃げたでもいい。そうしたら、自分がより、侮られるに足る奴に成り下がるのがわかった。いつか、ついに、こんな人間を許容していた最後の一人、自分自身が居なくなった。

 気づいた時は、風の、勢いのひどく弱いやつになり、その感覚もおだやかに落ち着き、落ち着き果てた今、どうやら私は、無くなった。他ならぬ私自身が、だれか私を知らないかと聞いて回っていたのだ。自らの声の反響に、頭を抱え、身を竦ませ、息も心も細くして、それすら疎んだ今、残る何かがあるはずもない。
 回った先に明日があった事を思い出す。地面に触れていない間、時をどうやって計ったものだろうと、かつての風が凪いだ。
 
***

 記事は終わっている。
 その下に、最初からそこにあったと思えるほど泰然とコメントは存在している。

「お疲れ様、気取ったナルシストの坊ちゃん。何一つ同情できる箇所は見当たらないね。作法に倣って、ひとつ知ったふうに聞いてやろうか。お前が消えた日、その空虚な頭の中の俺も一緒に消えたのか?」

嘘と青のノア

 ノアの箱船はちょっとだけ遅かった。雲が地に落ち、溢れた水が緑と灰色を等しく流し埋め尽くす中、光の手がすくい上げたのは、種族も分類も適当、特に人間はひどくて、一切を信じない占い師、寝食忘れがちなダンサー、部屋から一度も出たことがない翻訳者、三つ子の赤ん坊、狼に育てられた少女、などなど全員が完全な世間知らずで、世の中を知っているふうな生き物は僕だけだった。問題は、僕もまた、極めて嘘つきな爺さんに育てられ、口伝でしか外を知らないという事だ。
 占い師は遠い未来、人類は再び反映するさまを見た。文明は断絶だ。伝えられる技術は多くない。だが、歴史はかろうじて伝える事ができそうだとわかった。むしろ、伝える事が、箱船に生き残った者の役割であるはずだ。そして他の人間がすべて世界について無知である以上、「歴史家」として船に乗った自分こそが、その役割を担わなくてはいけない。注意深く、真実のみを書き記さなくてはいけない。知りもしない先の事を語る嘘の歴史家は「ノストラ騙す」と呼びひどく糾弾されたものだ、と爺さんがよく話していた。
 まずは明らかにしようと誰かが言った。なぜ滅びたか。ホロビチッチ不連続面のためだと僕は答える。船の舵を取っているのは誰か。鍛冶屋だろう、と僕は答える。いつ、戻れるのか。イッツショータイム、つまり、小時間で戻れるだろうと僕は答える。祖父に叩き込まれた知識をフルに動員する。誰も反応出来ないようだった。知らない事は、恥ではない。無知の知、つまりムチウチの身内こそ恥だという風潮こそ、恥ずべきなのだ。
 お互いの干渉はそれきりで、あとは各々が事実を受け止めたり、現実から逃げたりする事にたっぷりと時間を使っていたように思える。進展と言うべき事もなにもない。僕はそれを書き記す。記す事をする。つまりシースルーである。
 長い沈黙を破ったのは誰かのお腹が鳴った時だ。大音腹鳴。おおおとのはらなりという戦国時代の名将を思い出す。もちろん会ったことは無い。祖父はあるらしかった。当時の飛行機は地球の自転と逆向きに飛ぶ事が許されており、みんな自由に過去に行けたという。
 話が逸れたが、大音腹鳴にして静寂破れる、だ。
 きっかけ、全員が気づいてしまった。飯はどうするんだ。
 メシヤを探せ! 高い場所へ船を漕ぐ。漕げば操れると発見したのは大きい。みんなで樽をばらして、たわんだ木の板で空をかく。水が無くても浮かべるからこの船は優れている。水が届いていない場所が狙い目だ。船頭多くして船山に登る。そこにはまだ、腐っていない食べ物の貯蔵庫があるかもしれない。クサランプールが、あるかもしれない。
 果たして食べ物のありそうな看板が見えた。「やすまず営業中」とある。「やすくてマズいけど、でも頑張って営業中」の略だと皆に説明する。一同は得心した様子であった。マズくても今は食べられれば良いから、構わず船をつけた。
 ダンサーとはそこで別れた。ここでは蛇口を捻ればいくらでも水が出たのだ。もともと「おひねり」で暮らしていたと言っていたから、ちょうど良かったのだろう。船に戻りたくなったらどうする? 水位が上がったらどうする? 心配していたのは狼に育てられた少女たちだ。あらまあ、こりゃまあ、と昔から心配性だったとみえ、確かに、アマラとカマラと名付けられていた。
 蛇口があるのだから、別れに涙は蛇足だと、伝える。さよならは堂々と、王のように。それが船で行く者、バイキングのさだめだ。 
 その後も、占い師は売る物を得て漆になったり、三つ子が百の魂にまで昇華するなどあったが、ここでは割愛する。離ればなれになっても、絆は、愛は決して消えない。割愛はきっとそういう意味だ。
 そして、旅は、書を記す僕と、それを訳す彼女だけのものになった。
 もはや漕ぎ手は四つだけだ。僕たちの四つの手だけだ。だから、たわんだ樽の切れ端はもう握らなかった。波が無くても、在っても、越えてゆける。時折頬を伝ったとしても、それも波だ。
 ダンサーを思い出す。そうしながら僕らは好きに踊る。ゆっくりする。舞ったりする。
 狼の少女を思い出す。占い師の事も。二人は仲が良かった。ウルフりをして占い。月に吠えると未来が見える気がした。
 赤ん坊を思い出す。バーブーと愛らしい声はよく響いた。何度も響いた。その残響が今も耳にある。リバーブだ。魂は百になっても染みて残り響き続ける。
 シースルー中の僕に、ヤクスルー中の彼女が寄り添う。記す書は厚みを帯びて、増え続けて、僕らの手にはいよいよ重くなっていく。船はいつか図書館のようになった。沈む時はブックブックと言うだろう。いくつか、書いていない歴史もある。二人だけの歴史は、秘すと利だから、明かさない。
 遠く遠く先に、本があることを願った。それも、うんと、たくさんあることを。きっと嘘ばかり書かれている。知らないを、初めてを、なんとか生きたからだ。けれど、あなたにとってだけは、本当のように思えたら良い。たとえ沈んでも、この空のように、言葉が、意図せず、青ければ良い。
 船は向かっている。どこかへ、ゆっくりと。だが確実に。青が覆った、かつて楽園だった場所を揺蕩っている。
 

できそこないのオーロラ

 オーロラ職人が眠るのは昼の間で、夕方には暖を取る方法をなるべくたくさん用意して、楽器を担いで空へのぼってく。足をばたばたさせないで高くたどり着くには目が必要だ。足のつく空とすっぽぬける空があり、慎重に見分けて、けれど鼻歌は堪えて高度を上げる。海の底から音を持ち帰る時と同じで、急いではいけない。あんまり焦っては、破裂してしまうから、確実にだ。稀に深紅のオーロラが出来て有り難がられる事があるけれど、あれは失敗作だ。音不足、速度超過、瞬きを覆うには頼りなく、透けた星の筋は鈍く、よその銀河が見たらくすくす笑うに決まっている。そういう夜空に不似合いなやつを何度も作っていると、職人の立場というのも危うくなるものだ。
 とある地域で白夜があけた。目をつけたのはナザミという新米の職人だった。その年は、慌ててのぼろうとした足場を踏み外して、尻餅をついて、ついでに身につけたあらゆる音の出るものから不格好を鳴らした。幸い、星しか見ていなかったと思われ、後でほっと胸をなで下ろしたのだけれど、なんとか拵えたカーテンの評判がどうも良くなかった。色の段組みが粗く、湖面への映り込みもぼやけている。棒で叩いても冴えた音色を出すでもない、と散々で、唯一褒められたのは飲んでも腹を痛めそうにない、というやつだけだった。
 今年こそはと万端に構えた日は具合がよくなかった。太陽が風邪を引いたと言う噂で、空気にこんなにも迷いがあっては振るうタクトもしなるだろう。運ぶ楽器も選ばなくてはいけないだろう。熟練の者なら、待つか、あるいは全く別の――例えば氷の粒で空を煌めかせるなどして、やはり美しく寒空を彩るはずだ。けれど、ナザミに出来る事はそれでも作ろうと空へ向かう事だけだった。今を諦めても、後があるとは考えなかった。生まれて一度も、同じ空を見たことが無かったからだ。
 階段をのぼりはじめると、やはり笑う声はあった。わかっていないと、無謀だと、耳に届く。ナザミはそれらの言葉を真剣に耳に入れたうえで、やはり歩き続けた。何も、無茶でやろうというのではないし、何より、うまくカーテンが組み上がらなかったとして、その時、痛かったり、残念なのは、自分であるはずだ。正しい事と、足を止める理由と、関係が見つけられなかった。動く理由はいつもわからない。止める理由はいつも、止めようとする者が消してくれる。
 準備は出来た。心音を覆うように、懐かしい歌や、くすぐられるような記憶を貼り付けて、温かく保つ。まぶたの裏をしっかりと見る。次に空気が目に触れると同時に、足のつく空と、すっぽぬける空が、居場所を教えてくれるはずだ。急がない。目をあける。
 足を踏み出す。大きく夜気を吸い込むと、目尻に少しだけ水を感じた。その水が遙か遙か上から吹く、二億年前の瞬きのように微かな風を伝えてくれると、自分の体が霧や何かと同じように外と紛れながら、一音、鳴った。持っていた楽器の、どれを鳴らしただろうか。また、鳴らしたのは誰だっただろうか。叩いて、かいて、吹いた音が、星々の手が一斉にそうしたように、たちまち連なって響き出す。どの音もその音も。一瞬で吸い込んでいく黒があるけれど、負けずに作り出される粒となって、次々と、けれど確実に。透明から、うっすらと青を湛えて、緑をくみ上げ、色づいていく。たわませて巡る。見えないから見えるへの境目で、月がようこそと言った。水が真似をして逆さまに映す。空の果てと湖の底を覆う。瞬きを透かして、銀の城が眠っている。それはそれは見事なオーロラだった。
 後に、達人と呼ばれた職人の作品には、できそこないがいくつも在った。巧妙な大気で隠したわけでもない。それでも、地上の者はそれを見なかった。けれど、ナザミは寂しくは思わずに済んでいる。瞬きはいつだって過去だ。あの不格好な光を、遠い星、よその銀河が、くすくす笑ってくれるだろう。

緊急時のてびき

 空気が薄くなると体が透けるのだっけ? 落ちる飛行機の中でようやく冷静に死を受け入れつつあったのに、自分の手のひらごしに機内パンフレットの「緊急時のてびき」という字が見えるのだからぎょっとする。
 そんなわけないじゃんと笑う妻も点滅していた。当たり前だけれど金属探知機にひっかかった靴も、息で吹き入れて膨らんだベストも服も透けていないし点滅していない。自分の肌と、妻の肌だけがちょっと妙な具合に、存在があやふやになっている。そういうきみも点滅してるぞと教えてやった。ほんとだ。物販カートが放り出され取り放題になっている菓子類を頬張りながら妻が言うが、足をばたばたして一瞥しただけだった。

 幽霊だったら透けているという話を聞く。だからこうなるのは普通、死につつある時分じゃなく死んだ後だろう。普通とは何だ。頭をひねると、骨の鳴る音がした。骨。そういえば血液や内臓や骨も透明になっているという事か。血が噴き出しても絵にならないとすればゾンビ映画にはもう出られない。
 あと五分もすれば飛行機は海でなく大陸に影を落とす事になる。その影が膨らんで地面とくっつく前に自分たちが脱出するのはもう不可能に思えた。親切な事に、進路は変えられないうえ、海へつっこむ事も難しいという機長の声は客席に繰り返し届いていた。今なお壊れた操縦桿やら何やらをいじくり回し生還の道を模索しているのだろうが、誰一人笑顔を見せないキャビンアテンダントの様子からそれが徒労に終始している事は見て取れた。
「往復切符を買って良かったでしょ」
 なぜか得意げに妻が言う。生きているうちに海外旅行に行ってみたい、と言い出したのは彼女だった。曇天の空港で、私は生粋の雨女だが雲の上ならば決して降られる事はない、どうだ格言めいた事を言ったぞ、と胸を張っていたのを思い出す。言ったのもつかの間、これから生涯を終えて雲の上の住人になろうとはさすがに予想していなかった。

 今更かも知れないが人生はこれからだ。結婚して、仕事も悪くない方向を維持出来ている。子供も授かるかもしれないし、親孝行や家族サービスの計画は五万とあるのに、矢先に飛行機が落ちて、しかも透明になるなんて。
 犯人はもう死んでいる。ハイジャックは、血圧に不安がある人間が高い標高でやっていい事ではなかったのだ。暴れ周り、脅し回し、コクピットの重要そうな何らかの装置を破壊しつくしたた挙げ句、発作で息を止めた。
 制服を着た背の高いお姉さんが遠慮がちに言った。
「いちおう、お医者様はいらっしゃいますか」
 飛行機が落ちるとわかったのはその後だ。透明になったのは更にその後という事になる。機内が騒がしかったので明確な境界は思い出せない。犯人の持っていた拳銃は自殺を求める人の手に順に渡り、必ず当たるロシアンルーレットとして五人を殺して床に捨てられた。その後は泣く声とお経と祈る声とが絶えず聞こえてくるが比較的落ち着いた。一人、搭乗用のハッチをスマホで延々と叩いている者がいて、そのリズムが、早くなる自分の心音を確かめるよい指標になった。
 どうやら自分は、やはり死ぬのは怖いようだ。恐怖は、自身に起こる多少の不思議では拭えないもので、透明や、点滅はそれを何者かが教える為に、いや、自分自身が確かめるために起こる儀式なのだと言う気さえした。より薄くなった自分の体と、より間隔の長い点滅になった妻の体は、しかしまだ触れあう事ができた。手を握ると握り返す力がある。なに、とこちらに顔を向けたのは消えたタイミングだったのだろう。再度点灯した時まだ妻は怪訝な顔をして、そして目を凝らすよう眉を動かす。表情から自分が、だいぶ見えにくくなっているのだなとわかる。
 響く音は一切が一定。着々と大きくなる風とエンジンの音が、泣き声を消し、話し声を消し、間に壁をこしらえるように人を分断していく。
 来世を信じているか、それとも夢と信じているのか、と聞いた。同じように死に瀕した時に、今と同じように、手を握りながら。いや、それさえも気のせいで、初めてする問いかもしれない。
「ただ信じているのよ」
 往復切符を買って良かったでしょ、と彼女は言った。行き先が天国なら尚更だ。
 誰かが歌い出す。巨大な空との摩擦に対抗するように。窓の外が赤く映る。白へ変わり、光を増していく。やがて雲を追い越しはじめると、体が少し浮いた。手を握る相手はもう見えない。消灯だろうか。次に点灯する時を待つ時間はあるだろうか。
 指輪が宙に浮いている。お互いの薬指だ。天使の頭についているものに似ていた。

フクロウおじさんの本当の姿

 羽角公園のすぐ近く、ツツジの中から顔を出したような背の低い街灯の続く先、元気橋の根本にはフクロウおじさんが住んでいて、夜中に子供を攫っては、シチューの具にしているそうだ。
 誰が言い出したか、この地区の小学生には有名な話だった。僕はその「からくり」がなんとなく、わかっているつもりでいたのだ。つまり、フクロウおじさんなんていない、作り物だってことを。ただその時、話して賛同してくれる者なんて、誰一人いなかった。
 森南小学校はY県市内にあり、県内ではどちらかと言うと都会と呼ばれる地域にある学校だ。とはいえ「県内では」という所がミソで、全国でも田舎として名高いここいらで少しくらい栄えているなんていっても、たかが知れている。山を背中に、川の音を聞きながら授業をする点は、県内のどの学校とも同じだろう。
 もちろん、「みんながみんな噂好き」なことだって一緒だ。子供も、母親たちも、噂の仕入れを忘れた事は一度もない。公園で集まる時は決まって、新鮮な噂を交換しては眉をひそめ合っていた。
 僕はどちらかというと、その噂ってやつに興味のない人間のひとりだ。それどころか、ばかみたいだ、とさえ思っていた。だって友達の友達の兄さんが大学受験に落ちたとか、誰彼のママのママがテレビに出たとか、それがどうして「人生の役にたつ」っていうんだ。
 担任のヨオコ先生だっていつも言っている。
「どうせやるなら、人の役に立つことをしなさい」
 暇だと思われて舐められることには慣れているけれど、僕たち小学生はいつだって今と未来に「人生の役に立つ」を求められている。習い事だってそのためで、噂話にうつつを抜かしている暇なんてちっともありはしないのだ。だから、例え誰かが輪をつくって楽しそうに話していたとしても、僕はすすんでそこに入っていったりしなかった。そして、だからこそ、膨れ上がる前の、根っこにある「かんたんな真実」が見えていると信じていた。
 学区の西端に住む子供たちが森南小へと向かうならば、龍山川をどうしても渡らなくてはいけない。この近辺で向こう岸に行くためには、たったひとつの元気橋と呼ばれる橋を渡る必要があった。つまり、西側の学区に住むほとんどの子供はこの橋を、毎日行き来する。まず第一にこの橋のすぐ側にフクロウおじさんの家はあった。
 どういう理屈か知らないけれど、駅前の街灯と違って、この橋にある街灯は夜の八時になると明かりが「消える」のだった。光のセンサーではなく、タイマーで動作させていた所、内部時計がズレてしまったと、お父さんが持論を展開するのを聞いた事がある。お父さんは学校での話をほとんど聞いてくれないくせに、こういうどうでもいい事はよく話してくる。
 子供にとって、八時を過ぎた、真っ暗な橋を渡るのは恐怖だ。親だってそんな危険な場所を渡らせたくは無いはず。結果、子供が、遅くまで遊ばないよう、間違っても八時過ぎに橋を渡る事などないよう、注意を促すつもりで、「大人たちが」フクロウおじさんという架空の怖い人をでっちあげたのだ。子供にそんな事を話せば、途端に広まる事は決まり切っていた。
 フクロウがどこから来たか? それは本当に簡単な理由で、フクロウおじさんの家の前には表札のかわりに、木で掘られたフクロウのレリーフが飾られているからだ。丸い目が片方だけくり抜かれ、体は後ろ向きで首をぐるりと回してこっちを見ている具合で、確かに異様な感じがする。眉なのか輪郭なのか、顔はハート型で、そのせいで目の穴も見ようによっては心臓を穿っているようだった。
 実物のフクロウおじさんを見た人は、誰もいない。けれども聞くところによると、この元気橋が真っ暗な時間に誘拐事件が起きたのだという。犯人は未だに捕まっていなくて、子供も見つかっていない。犯行が行われた日の情報は何も無かったが、普段ひとけの無いフクロウおじさんの家から、それはそれは美味しそうなシチューの匂いがしたそうだ。
 ある時、梅雨明けすぐの頃だ。
 先生たちの会議があるため一斉下校が約束された落ち着かない日の朝礼で、校長が言った。
「今日は早く学校が終わりますが、決して寄り道などしないように。悪い事をすると、フクロウおじさんが出ますよ」
 瞬間の静けさのあと、体育館がざわめく。誰もがハッとして、蒸した空気と蝉の声に改めて気づいたに違いなかった。ヨオコ先生が騒がしくなった声をなだめようとするけれど、クラスに彼女の言う事を聞く生徒は少ない。
 それは僕たちにとって驚きの事実だったのだ。先生たちの中でも一番偉い校長が言ったということ。何か「公式」に発表された心持ちがして、クラスの皆が持つフクロウおじさん像が、みるみるうちに形を成した。
 それだけなら良かったのだけれど、まったく、子供の好奇心を甘く見たとしかいいようがない。クラスの男子の一部が、フクロウおじさんの家に真実を確かめに、そしてあわよくば退治しようと言い出したのだ。もともと家に早く帰れると気持ちが浮ついていたところに、とどめのようにあの校長の言葉だ。普段なら止めておこうよ、と言い出す者もなんとなく気になってしまったのかもしれない、帰りの会でくれぐれも、と言った先生の言葉を無視し、その計画は当日のうちに実行されることになった。
 興味がなかった、と言ったら嘘だ。ただ、僕はフクロウおじさんそのものが作られた架空の存在だと信じて疑っていなかった。そしてちょっとだけ、怖かったというのもある。たまたま参加しなかった僕だけが生き延びた。シチューになったのかは知らない。でも、その日を境に僕のクラスメイトから半分の男子が居なくなった。涙が止まらなかったのは生まれて初めてだった。
 テレビで取り上げない日がなくなって、「こと」が大きくなりすぎたのかもしれない。危険だった薄暗い橋の街灯は修理され、いつも警察や町内会の当番、先生方が交代で見守るようになり、そして何より、フクロウのレリーフのあの家の住人がインタビューされる様子がニュースで流れるのを見ると、世間とは真逆に、僕たちの興味は急速に薄れていった。
 頭の中では完璧だったとびきり格好良い合体ロボが、いざ絵に描いたり粘土で作ったりしてみると全然強そうにできないことがある。それと同じで、フクロウおじさんは皆の頭の中に居た時だけ完璧だったのだろう。その時点で犯人はまだ捕まっていなかったけれど、想像が明るみに出て、実体をなして、もともと居なかった理想のフクロウおじさんが死んだのだ。
 事件は少しだけ続いたのちに、完全に解決した。行方不明の子供たちは、フクロウのレリーフのように心臓を突かれて皆死んでいた。見回りを掻い潜っての誘拐は考えにくいとして、内部の犯行を疑った警察が最終的には突き止めた形だ。
 僕はとうとう、お礼を言い損ねてしまった。何せ、クラスの男子が勇ましいほうから順に半分死んだのだ。いじめられなくなっただけではなく、静かで、授業も集中出来て、いいことづくめだ。泣くほど嬉しかった事は間違いない。
 夏の終わりに、担任の先生が替わった。その人から、二度と何かを教わる機会が無いと思うと寂しい。ヨオコ先生がホームルームで仰った言葉は忘れない。
 ――どうせやるなら、人の役に立つことをしなさい。
 今、僕はフクロウおじさんの存在を信じている。
 彼女は刑務所にいて、居もしない理想の教え子に、元気で授業をやっている。